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“人のつながり”が容易に見れる時代に人のつながりを考える

ここ数年で劇的に変わったこと。

一つ上げるとすれば、

“人のつながり”が見えるようになったことだろう。

ビジネスの世界ではもう随分前から、見える化が大流行だ。

現場の見える化、経営の見える化、プロセスの見える化、顧客の見える化、リスクの見え化・・。こんな風に、見える化は結構おさまりが良く、新鮮な響きがある。

ただ、シンプルにいうと見える化の実現は大変である。

理由は人間は見える化に向いていないからである。それに抗って見える化するのは、骨が折れるがこれは仕方がないことでもある。継続的にするとなればなお大変である。

それでも、見える化の価値や効果があるならば、取り組めばよいと思うし、私も仕事では見える化は推奨派である。余談だが、“見える化の達人”なるサービスもやっている。

ところで冒頭で書いた

“人のつながりの見える化”はメリットよりもデメリットの方が大きいと思う。人のつながりは、20年前であれば本人が公表でもしない限りは、他人にはなかなか分かるものではなかった。言い方を変えれば、一人一人の細かい人間関係は本人しか分からない。

以前、6次の隔たりについてブログに書いたことがあるが、今のSNS時代は、これが3.5次ぐらいの隔たりになっている。

誰と誰がつながっているかを確認するには、正攻法でいけば、本人に聞く。少し変化球であれば、その当人の親しい人に聞くことだと思う。

他にもやり方はあるにはあるが、探偵を使うのが極端な例だが、本人の知らないところ、分からないところで、詮索したり調べるのは、様々な事情はあるにしても、歓迎出来る行為ではない。

大雑把に言うと、私も仕事で2/3、プライベート1/3ぐらいでSNSの類は使っている。

経営者の中では一番使っているほうだと思う。

だからこそ、そんなに真剣にのめり込んでいるわけではない。それでも最近は、たまたまfacebookで見かけたとか、lineのグループトークで知ったとか、twitterでとか・・。たまたまの情報に振り回され気味になる。

特にfacebookは、その気になれば、誰と誰がつながっているのかは結構わかる。

そういう私もこの数年間に、たまたま見た友人のfacebookの投稿やつながりからのきっかけで、お付き合いが再会した人も少なからずいる。

これは、たまたま数年に一回しか訪れない街の駅前でばったり、懐かしい人に会う、そんな運命的な再会とはまた違う感覚だ。一つは頻度の違いだろう。

やはり、ご多分に漏れずSNSでも情報は溢れている。すでに自分にとって知らなくてよい情報を知ってしまう環境がそこにある。私は自分にとって有益な情報だけを掴むべきだと言っているのではない。自分にとって不要な役に立たない情報も混ざるからこそ、情報を目利きする感度は高まると思っている。

そんな私でも、人間関係に関する余計な情報はあまり気にしたくない。にもかかわらず、faceboookなどはそういう仕組みになっている。

私は、基本的にこういう考えがある。

信頼している人がいるとする。仮にその人から別の人を紹介していただけるなら、基本的には大歓迎だ。だから、紹介いただける人の事を基本的にはいちいち考えたり調べたりはしない。

そして、結果つながったとして、無条件にお付き合いするかどうかは別の話である。そこは仲介していただいた人にも、割り切ってもらう。

要するにSNSであろうが人の紹介であろうが、つながる人は運命的でもなんでもなく、自分の意志で決めたい。

それが私の言う“何をするかより誰とするか”の原点である。

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今のところ、そんなことを行動の原点に置いているので、どうも、いちいち、人のつながりが勝手に飛び込んでくるSNSから距離を置いた生活を試したいと思っている日々でもある。

以上