大量消費社会の罠⁈
しとしと降る雨、二日連続天気から、さては飽きが来ていると伺える。
知らない内にこれルーチン化していて一日の中で空いた時間があればなるべく打っておかなければとの迫り来る強迫マゾヒズムからも来ているのか、ここまでで既にお分かりの方居らっしゃるかも知れまいが疲弊している様だ。
非常にお粗末な有り様で読んでくれる方には大変申し訳がない。
では、いつもだったら大丈夫なのかという事にもなってくる。なんだかんだと自分を過信し過ぎて居るのか。だとしたら全く愚かでしかない。
そもそもなんで昨日、今日と天気から入ったかといえば、自分というのは兎に角言い訳人間であり、先ずは言い訳次に言い訳、そして言い訳、それでそれらの言い訳をするといった具合であるからで、その言い訳の代表格に天気という要素がある。
特にここ数年、歳を重ねる度に天気に自分の心は左右される傾向が強いと思うのだ。
その中で寒いのと、雨や、曇りというのは本当に苦手で著しく削がれた気分に陥いる。
折角処方してもらった薬で体調は快方に向かっていた筈だのに今日は著しく訳もなく落ち込んでいるし、直ぐに疲れた心持ちがする。
しかしながら短い人生無駄にはするまいと奮い立たせる為にするのは、先ず無意識のうちに食いまくるという行動。
昼休みにご飯多めの弁当とサンドウィッチを持参したのにプラスしてコンビニでおにぎりを買っていた。また、早めに終わったバイトを尻目にパン屋へ行ってパンとバーガーを頬張る。
お察しの通り、これは殆どの場合失敗する。普段より余計に消費する為なのか身体が疲れた感じがする。
そこで今日は次の作戦へそれは買い物をする。とはいってもこのnoteに今まで散々記入させて頂いている通り手持ちはないのでなるべく必要なものに限る。
本日は整髪料が切れて来たのでそれを買いに行く。この寄り道という行為で気分転換を図る意図もあるのだがこれまたなるべく最短ルートの最短時間でないと無駄に過ごした気がして後から後悔やストレスがのしかかる。
ウィンドウショッピングも兼ねて文房具屋へ、そういえば、スクラップする前の段階で作業が止まったものを保存しておくファイルをと探しみる。魅力的な商品はあるのだが600円也、いかんせん。やはり値が張るので保留してその複数店舗が一つの建物の中に混在するいわゆるショッピングビルヂングの他階にある100円均一店へ、ここでは先程の六分の一位の値で欲しいというより“まあ、これでええか。”といった程度にそれなりの満足した物は買えるのだがやはり安価品である故なのだろうか、欲深い私はその中で、この値段ちうことはやね、つまりコレとコレ組み合わせるだけでこうなったらええんちゃうか。と思い出したり、自分が思いも付かなかった、クリアファイルは上から入れるものだという常識を覆す発想で、横から入れられる様にすればスッと入り易いしパッと取り出し易いという物もおまっせ、といった提案までしてくる代物も並んである。
ほおう。
なるほどその発想もあったか、まあ“たかだか100円ならば” それも試しに頂いとこかという境地へ陥り気付けばレジスターで申し渡された額は660円也。ホンマにそんな買うて全部使う時は来るのだろうか疑念しかない。
荷物が多くて重たい。
ただでさえ狭いのにまた部屋に物が溢れて行く100均で考え過ぎて駄目になった頭は、少し小降りになっていた雨を言い訳に少し高いが楽な帰り道のバスに乗るという選択をしていた。
『フルコースのレディオ』というYouTube配信しております。
懲りずに2回目何とか配信漕ぎつけた。自己満野郎が1週間を公民館の新聞と振り返る。