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小説 ハグ屋の慶次 2章① 離人症


滝川葉月の心を癒した慶次の能力を目の当たりにした菜美は、慶次を畏敬の眼差しで見るようになった。

葉月はすっかり立ち直り、中学の時に彼女のイジメに加担していたクラスメイトとも和解した。また、自殺を図ったA子の見舞いに行く勇気が出たのか、毎週のように病院に行っていると聞いたので、慶次に報告してあった。


その日夜8時を回り、夕方の食事の客が捌けて暇な時間ができた。慶次が食器を洗い、菜美が拭きあげてから戸棚に仕舞っている。

「そう言えばさ、菜美ちゃんが滝川さんを店に連れてきた時に、離人症っぽいって言ってたでしょ?」と慶次が声を掛けた。
「はい。葉月の話を聞いてたら、当てはまるかなと思って」
「離人症って、英語ではデパーソナリゼーションだっけ?」
「はい。そうですね」
「確かパーソナリゼーションは、自分が責任を負う必要がないようなことを過剰に自分に責任があると考える傾向だったよね。で、離人症は自己が現実から切り離されている、または自己の感覚や思考が他者によって観察されているように感じる精神的な状態だったね」
「凄い!完璧です」と菜美が声をあげる。
「彼女の場合には、パーソナリゼーション、つまり個人化だけで説明がつくような気がするんだけど。何故、離人症かも?と思ったのかな?」
菜美は食器を拭いていた手を止めて、慶次に言った。「よくわからないんですけど、葉月と話していても心ここに在らずっていうか、心が身体と切り離されてしまってるように感じたんです」
「心ここに在らず、か。変な表現だけど、彼女は魂が肉体と繋がっていない状態だったのかもね」
慶次は、洗い上げた皿を奈美に渡した。

「菜美ちゃんには、僕の母のこと、まだ話してなかったよね。父が事故で死んだ日の母がそんな感じだったんだよ」
「え、そうだったんですか?」
「うん。茫然自失というか。魂が抜け出してしまったような気がした。話しかけても上の空みたいな感じでね」
「そんな。。。でも、大切な人が急に居なくなっちゃったら、私でもそうなるかも知れないかも」
「その時は、このまま母が気が変になってしまうんじゃないかって、心配というより恐怖を感じたよ」
「確かまだ、マスターが高校生の頃でしたよね。よく対応できましたよね。私なんか高校の頃はお子ちゃまだったからなぁ」と言って、最後の食器の収納が終わった。

「まかない作るから食べていくかい?」洗い物が一段落したので、慶次が言った。
「えー、お母様が待ってらっしゃるんじゃないですか?」
「今日は帳簿整理をする日だから、遅くなるって言ってあるんだよ」
「それなら良かったです。安心してご馳走になれます」と菜美が笑顔を見せる。
「それじゃ、アレでも作るか」
「えーと、アレですね」
「オムライス!」と2人の声が揃ったので笑った。

慶次の作るオムライスは、ケチャップライスが特別だった。チキンライスではなく、ベーコンとスライスしたソーセージが入っている。味付けには、ケチャップも使うが、ハヤシライス用のストックのデミグラスソースを使う。
濃厚な味のケチャップライスに、ふわトロのオムレツが乗る。ライスの味が濃厚なので、オムレツにはソースをかけない。

「コーヒーはブレンドの温め直しでゴメンね」
「オムライスが主役だから大丈夫でーす。マスターブレンドまでリクエストしたら、バチが当たりますよ。いただきます」
暫くの間、2人は食べることに集中した。

「んー。お腹いっぱい。幸せいっぱい。ご馳走さまでしたー」
「菜美ちゃんの笑顔を見てると、作り甲斐を感じるよ。いつも、いい笑顔だもの」
「マスターにそう言われると照れちゃいます。お皿、流しに片付けて置きますね」
「滝川さんの話しは、また今度でいいから。気をつけて帰ってね」
「はい、今度マスターにレポートできるようにまとめておきますっ!」と戯けて敬礼すると、エプロンを外し、身支度を済ませて帰って行った。

慶次は、仕事を片付けてしまおうと帳簿のソフトを開いた。だが、ふと離人症が気になり手を止めてネットを検索してみた。

離人症は、多くの場合強い不安やストレス、トラウマと関連していることが多いとあった。母の場合には、強いストレスと生活への不安があったことは間違いない。

離人症の特徴の項目に、「現実感の喪失」という記述があった。
「周囲の環境や物事が夢の中にいるように感じたり、現実味を失ったように思える」とか
「自分が世界から切り離されている感覚」と解説されていた。

自分の声や体が「自分のものではない」と感じるとか鏡に映った自分が「他人」のように見える、日常の出来事が映画や舞台のように感じられるなどの記述もあった。あの時、母自身がどう感じたのかはわからない。だが、慶次があの時見た母が離人症の中に漂っていたのは間違いなさそうだ。

もし、あのまま戻ってこなかったらどうなっていたのだろうか?と気になって、続きを読んだ。

心理的影響について「一時的な
depersonalization は一般的であり、多くの場合には害はない」とある。だが、長期化すると、自己同一性の混乱や社会的孤立を引き起こす可能性がある。解離性同一性障害などで、この症状が起こることもあるらしい。

母の場合には、一時的な離人症だったのかもしれない。だが、もし長期化していたら。。。

そこまで考えた時に、携帯が振動した。
菜美からだった。

「菜美ちゃん、どうしたの?」
「今、駅まで着いたんですけど、変な人につけられている気がして、怖くなって。。。」菜美が緊張した声で話してきた。
「知ってる人じゃないんだね?駅まで誰かがついてきたんだね?」
「はい。怖くて後ろを見ていなかったんですけど、距離を置きながら尾行されてるような気がして。怖くなって。。。」
「もし本当に尾行してるやつが居たら、厄介だな。とりあえず、迎えに行くから改札の前で待ってて。もし、変な奴がいたら、駅員さんに声を掛けてね。待ってて」
「ご迷惑かけて申し訳ありません。駅で待ってます。よろしくお願いします」
慶次は急いで店に鍵をかけると、飛び出した。



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じーちゃん こと大村義人(ペンネーム )
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