夏休み

今年に入ってから上半期はずっと忙しかった気がする。ライブも割と多くしたし、展示もたくさんした。通常の展示に加え画集を去年の冬に出した関係で書店での原画展を各地で開催させてもらったので忙しかったのだ。本当にありがたいことです。

それで8月に入ってちょっと一息という感じ。
ライブは2回だけで展示もない。(千葉県立美術館の野外展示の設営も7月下旬に終わってしまってあれは在廊するような展示ではないし)だから夏休みのようなものだ。



ライブがないと生活はかなり規則正しくなる。お酒を飲む量もグッと減る。携帯のモードも機内モードにしちゃっていることが多い。



そしてインプットに時間を多く当てることができるのがとても嬉しい。やはりインプットというのはとても大切だと思う。

インプットとして僕が大事だなぁと思っていることはいくつかある。

一つは自然や季節を感じること。散歩でもなんでもいい。僕の場合は庭作業や畑作業もそのうちの一つ。でもやはり散歩をして空を眺めたりするのが一番かな。最近はエスカレートしてきて毎朝3時半ごろに起きて4時ごろから3時間しっかりと歩く。聞こえてくる音が最初はほぼ虫の鳴き声で空が明るくなり始めると鳥の鳴き声が加わるのも好き。

絵を描く上でやはり僕が日本人であるということは根本的なことだなぁと思うけれど、実はその根本的なものの由来こそ当たり前すぎてわかりづらい。

だってそうでしょう??「どこでどうでどうだからあなたは日本人なの?どこが日本人らしさの?どうしてそういう風に考えるの??」と根本的なことは当たり前に身につけちゃったものだから自分たちにはむしろわかりづらいのだ。


それでその日本人らしさというのはどこから来るのかな?と考えるとやはり大きな大きな源はこの自然環境なんだと思う。その上に我々は長い時間をかけて様々な文化やセンスを身につけた行ったのだと思う。世界でもとてもこの特殊な気候。この気候や環境を感じることは、僕たちの持つセンスの有形無形の大きな背景だと思う。そんなことを僕は大学時代の森林学を専攻する中で学んだ。

もう一つは本を読むことだ。別に動画でも学んでもいいのかもしれないけれど僕は本かな。なんで本を読むかというと「今」ということの成り立ちにとても興味があるからだ。それは歴史の縦糸と現在の文化の横糸のクロスするところにある。だからなるべくその縦糸を知りたくなるし横糸も知りたくなる。そんなことのヒントになる本をなるべくたくさん読むのだ。


それもこれも絵描きを続ける上で大きな関心事は二つに集約されるからだ。

僕はどういう絵を描きたいのだろう?という絵の内容そのものへの関心と、その絵をどのように人たちに届けて行ったらいいのだろう?という社会や経済についての話だ。とりわけ美術の教育を受けないで独自に絵描きとなった僕はこの辺のことを学ぶのはとても楽しい。

これらのことは美術の教育を受けた人はとっくに学んだことなのかもしれない。美術史、それの背景となっている文化史、あるいは思想史。さらには歴史そのもの。あるいは美術の経済学などなどなど心から知りたいことはたくさんある。

そうそう。よく「絵は心から描けばいいもの。情熱が全て。言葉や説明はいらない、、、」というのを聞くことがある。

それも確かにそうだけど、っていうかそれは制作の根本的な態度なんだけど、その上で色々と学ばないと深まらないと思う。なんていうか十分な肺活量がないまま地声でスカスカと叫んでいるような。それは半径1〜2メートルぐらいは届くのかもしれないけれどやはり遠くには届かない。(いや、ジョニー・ロットンのように地声で全世界に響かしちゃった人もいるのかもしれないけれど。いやいや、ジョニー・ロットンだってその地声の裏側に積み立てた色々がある上での地声なのかもしれな位けれど)

それだったら十分な肺活量のもとで深く深く息を吸ってその上で静かな声で歌う方がよほど迫力があると思う。

そんな肺活量を少しでも増やす8月になればいいな。

サポート本当にありがとうございます。サポートしていただいた分は絵の製作の助けとさせてもらい、よりよい製作に励みますね。