残すに値する未来のために生きる
この夏、僕は知の巨人と出会った。
その人はとてもシャイで、誠実な方だった。
今年4月、新型コロナ感染拡大による自粛期間中に、僕は『シン・ニホン』という本に出あった。AI×データ時代に移行するただ中にあって、50代になった自分が獲得すべき技量は何かを知りたい。これがきっかけだったと思う。この分厚い書物にヒントがある予感がし、実際に読み進むととても明快に今の日本の現状と課題、これから必要とされる人物像、そして日本が進むべき道筋が描かれている。それらを熱にうかされたようにぐいぐいと読み進んだ。獲得すべきスキルが明示されているのも理由の一つだったが、それ以上に、長年にわたって心の中に滓のようにたまっていた数々の世の中への疑問が氷解していくように感じられたからだった。
例えば、契約社員という枠組に代表される、世代間の格差。女性の管理職の少なさや東京大学への女性進学率の低さに顕著にみられる、男女間格差。あるいは、トップダウン型の組織がつぶしがちな、優しい魂の持ち主たちのことだった。日本には埋もれている才能がたくさんある。それらのことが豊富なデータをもとに示してある。僕ら大人は意識的にまた無意識のうちに、様々な局面で、若い人たちや苦しみながら生きている稀有な才能をつぶしてしまっているのかもしれない。けれども著者の安宅和人氏は悲観せず、それらの課題を伸びしろと表現し、そうした人たちを守り生かすことで日本の勝ち筋を具体的に示すのだった。
日本経済は、データ×AI化の第一フェーズではGAFA等巨大テック企業の背中をみることすら叶わず、ほぼ15年間にわたりプレゼンスを発揮できなかった。しかし、それを利活用する第二フェーズの波に乗ることができれば再び立ち上がれる、と安宅氏はいう。そのキーワードが異人だった。異人を保護し育てること。データを元にしたその圧倒的な説得力と明るい未来にとりこになり読み進んだ。
今までとは違うゲームがスタートする。その世界の中で求められる人材像が安宅氏のいう異人だ。「あまり多くの人が目指さない領域あるいはアイデアで何かを仕掛ける人が圧倒的に重要になる。こういう世界がほしい、イヤなものをイヤという人たちが必要」。実にワクワクする世界だった。安宅氏は呼びかける。残すに値する未来を創ろう、と。少しでも日本、世界の異人を結集させて、公正で自由な社会を目指したい。そんな風に考えているときに、この『シン・ニホン』第二期アンバサダー養成講座メンバー募集の知らせを目にし、迷いなく飛び込んだ。学びたい、と心から思った。
講座には実に様々な世代の男女が集まり、中でも特記すべきは高校生が3人もいたことだ。僕の娘と同じ年頃になる。そんな環境の中で週に一回夜にzoomをつないで一章ずつ様々な問いをたて討論し読み進んでいく、計7回の講座だった。講座は木曜日の夜なのだが、その晩は眠れないことが何度もあった。
イェール大学で脳神経科学のPh.Dを取得した安宅氏は、本書第三章の中で、知性の核心は知覚であり、知覚は経験から生まれると書いている。講座では、回を重ねるごとに、『シン・ニホン』を自分ごとにするための問いが増え、さらにその問いについて問いだてするようになる。本書の本質へ迫れば迫るほど、答えは自分自身の過去の経験に潜り、そこから自分なりの見解や言葉を引き出してくることになっていった。きっと参加した誰もが一度はこう考えたことだろう。「どうして今、自分はここにいるのだろう」と。その解がみえないと言葉さえ出てこなくなる。布団に入り煩悶しながら過去を振り返る。眠る前、目をつぶると、魂は色々なことが思い出されていった。
雨の降る中、東へ向かって車を走らせている自分、
外は冷たい雨と暗闇が広がっている。
大学を卒業し、製鉄会社に入って広島にある福山製鉄所に配属された僕は、一年後のある晩、ここを抜け出さなければならないと車を走らせていた。
あの夜、僕は何を考え、未来に何を達成しようとして飛び出したのだろう。
不安をかき消すように車内では大声で歌を歌っていた。いい人ばかりに囲まれていたのに、いつも何か叫んでいた。
今度は高校生の頃の自分だ。
中学生時代に仲の良かった友達が亡くなった時のこと。勉強に全く意味が見いだせず、本ばかり読んでいた。ロマン・ロランから始まり、ゲーテ、スタンダール、ランボー、ニーチェ、ドストエフスキーらをむさぼるように読んだ。
公正さや自由への希求、本質的な価値、欺瞞への憤りや反抗心。
社会が求める人物像に決してなれなかった自分にとって、生きる光はエンターテインメントだった。製鉄会社からエンターテインメント会社へ転職したのだ。
TVの世界に飛び込んで、だれかれ喧嘩をして
それでもまわりの人に恵まれてどうにかここまで生きてきた。
だけど今の自分の姿は?
いつの間にか、どこかお客様のような気持ちで自分の人生を生きているんじゃないか?
あの頃の自分は救われていないままでは?
安宅氏の言葉の端々から、若さという貴重な時を一刻たりともムダにするなというメッセージが響く。若者を守らずに未来はない。これほど自明なことはない。そして『シン・ニホン』の行間からにじみでる、峻烈な覚悟。この覚悟は、日々の在り方にピタリと寄り添ってくる。
こうして様々な想念にうなされながら、各章の言葉に自分を確かめるような日々は過ぎ、第六章まで進んだ時、はっきりしたのは、章タイトルにもある、残すに値する未来のために生きたいということだった。覚悟ができたのだ。やるべきことは、『シン・二ホン』の中にこんなにもはっきり明示されている。ならば自分のできるところからやっていこう。
残すに値する未来のため。では僕は社会に対して何を仕掛けれるのだろうか。ヒントは多様性だ。今僕はそこに大きな可能性を感じる。多様性は異人たちの母親だ。彼らはきっとその乳房を吸いそこに生息している。僕は多様性のための様々な取組を支援し、時には自らも参加していくことだろう。
残すに値する未来のため、自分の仕事や業界にどうフィードバックしていこうか。スケールの経済と長く並走してきたエンターテインメントの世界は、生き残っていくために短期間でDX化していくことができるだろうか。希望はある。そこに面白さがあるから。自分に欠けているデータサイエンス力とデータエンジニア力を一歩一歩学んでいこう。
そして残すに値する未来のため、僕は自分のドメインへともっと深く潜りたいと思う。今こそ自らのドメインを再び見出す時であり、新たなドメインを獲得する時だ。リュック・ベッソン監督の映画「グラン・ブルー」の主人公のように、どこまでも深いブルーの海の底へと果てしなく潜りたい。そこはきっと誰もが行かない道だ、だからこそ僕は行こう。そしてそこで得た知覚をアウトプットしていこう。
講座の最終日、『シン・ニホン』を読んで得たものというテーマでみなが発表する中、僕はこれからそうしたことに取り組んでいきたいという話をしたと思う。そしてその講座の中での出来事だった。zoomの分割された画面の一角にふいにその人が現れた。どこか見覚えのあるシルエット、安宅和人さんだった。安宅さんが現れた瞬間、みなの心の温度が2、3度あがったのがわかった。その人はまるで昔からの知り合いのようにその一角に陣取り、目をとじたりうなずいたりして、一人一人に向かって感想を語ってくれた。実に赤裸々に自分のエピソードを話し、そこから言葉を探ってきては語りかけ、何度も照れくさそうに笑った。それはみなにとってとても幸せな瞬間だった。相手を傷つけないよう言葉を選びながら本質を見逃さない人、思っていた通りの人だった。日本が誇る最高の知性だ。デジタル空間での出会いでありながら、懐かしい匂いを感じるような出会いだった。
その時安宅さんが「風の谷を創る」運動のモチーフになったアニメ「風の谷のナウシカ」にちなんで僕に語りかけてくれた言葉を忘れない。「僕はナウシカに出てくるオームになろうと決めたんです。ぜひ一緒にオームになって戦いましょう」。未来は自分が選ぶもの。僕もそうしよう。今まで存在しなかった未来のために行動できるなんて最高じゃないか。
僕と旧知のみなさん、そしてこれから出会うみなさん、
ぜひ一緒に、残すに値する未来を選んでみませんか。
『シン・ニホン』にもあるように、わずかでも「来た時よりも美しく」して、この世を去ることができればいいなと思っています。まずは読書会を通して、それから仕事や遊びを通して、とにかく楽しみながら。ぜひ気軽にお声がけください。
最後に、こうした場を設計し運営してくれた岩佐さん、井上さん、中村さんに深く感謝申し上げます。シン・ニホンという書物がなければ出会うことがなかったであろう、多様性というものが持つ豊饒さを僕に改めて教えてくれた二期生の仲間たち、メンターとして参加してくれた一期生の仲間たちにも、この場を借りて謝意を表したいと思います。ありがとうございました。
『シン・ニホン』と、この夏の全ての出会いに感謝します。
これからもよろしくお願いします。
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