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『日本思想史学』に「日本仏教はじまりの物語としての聖徳太子伝ー伝記の「成長」ー」が掲載されました

 日本思想史学会の紀要『日本思想史学』56号(発売・ぺりかん社)が届きました。
 昨年秋の東北大学における大会でのシンポジウム「語られる「始原」ー開祖の宗教史ー」の内容が掲載されていて、私も「日本仏教はじまりの物語としての聖徳太子伝ー伝記の「成長」ー」を書きました。

 近代以降、太子伝は批判的検討を受け、近年は聖徳太子非実在説が話題になりましたが、思想史研究的には、何が歴史的事実か、だけでなく、後世の想像・創作だとしても、なぜそのように伝記が「成長」したかについても考える必要がある、という観点から、聖徳太子伝とその受容について書きました。

 伝統的な仏教の考えは、人が輪廻すること、前世や来世を前提としています。特に、インドから中国、日本、チベットなどに伝わった北伝では、一切衆生を苦しみから解放するために仏陀となることを誓う菩薩の誓願を立てることが重視されます。
 もし、その人の生が誕生とともにはじまり、死とともに終わってしまうなら、菩薩の誓願はまったく意味のない、挫折に終わるしかないものになってしまいます。
 聖徳太子の生涯には、それにふさわしい前世があり、死後もその活動を継続する来世があったはずだ、という考えから、伝記は「成長」しました。
 なかでも思想的に大きな影響を与えたのが、大阪・四天王寺で「発見」された、太子の自筆で手印が押されているという『聖徳太子御手印縁起』です。
 鎌倉時代の親鸞や叡尊・忍性などに影響を与えたことが知られています。
 それは、他の太子伝のように、生涯が三人称で語られているのではなく、太子の一人称の形で説かれていて、そのなかで太子の菩薩の誓願が一人称で説かれていることが大きい、ということを指摘しました。

 近代的な考えでは、前世や来世なんてない、ということが常識なのでしょうが、それでは前近代の仏教者の思想や活動を理解することはできません。
 現代の仏教に対する捉え方に一石を投じようと思い、蟷螂の斧かもしれませんが、発表し、文章にまとめました。
 以前のようなお配りする抜き刷りはなくなってしまったのですが、ぺりかん社の発行で、書店でご注文いただくことができます。


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