日本文化の諸相:芸能と鎮魂
芸能と宗教は、世界の多くの地域で密接な関係をもっており、権力者の墓である古墳の埴輪にも、芸能と宗教や葬送の関係を思わせるものがあります。
琴や太鼓や笛のような楽器は、音を鳴らすことによって、霊的なものを呼び寄せるといわれています。
室町時代の世阿弥は、亡霊を主人公とする夢幻能の様式を作り上げましたが、その傑作のひとつ『清経』は、平清経の霊をシテとする能で、恋之音取という小書(特殊演出)では、笛方が笛を吹くと霊が舞台に現れ、吹くのを止めると霊も歩みを止めるという演出がなされます。
子供のころ、「夜に口笛を吹くと蛇が寄ってくるからだめ」と怒られた人もいると思います。この「蛇」というのは爬虫類ではなく、霊的なもののことで、霊の活発になる夜に音(口笛も楽器の一種です)を鳴らすと、霊的なものが寄ってくる、ということだと思います。
(古代の琴の用法を連想させる御神楽の人長舞)
この裸の女子の埴輪については、アマテラスが岩戸に籠った時に、アメノウズメが陰部を露出して舞い踊ったこととの関連の説明がありました。
東京国立博物館の展示にはありませんでしたが、力士の埴輪もいくつか発見されています。
相撲の土俵入りは、力ある者が大地を踏みしめることで、悪しき霊を鎮め、よい霊を活性化させる働きがあると考えられています。
国技館のある両国という地名は、かつて武蔵国と下総国の国境だったことに由来します。江戸時代のはじめ、大規模な改修によって利根川が銚子に流れるようになる前は、隅田川から東京湾に注いでいました。
国境は、この世とこの世の隙間で、そこから霊的なものがあわられると考えられていました。
大相撲も隅田川の花火も、江戸時代にはじめられたものですが、鎮魂の意味合いがあります。
東京で大きな犠牲者の出た関東大震災と東京大空襲の慰霊堂も、両国にあります。
終戦50年を記念して、平成7年(1995)に、当時の横綱、貴乃花と曙によって、沖縄と硫黄島で土俵入りが行われました。
どちらも太平洋戦争の激戦地で、多くの方が亡くなられた場所です。
沖縄はともかく、硫黄島は基地関係者以外の民間人のいない島です。そこでの土俵入りは、鎮魂以外の目的はありません。
私は歴史や民俗学などに興味があったので、相撲の宗教的な意味合いを知っていましたが、当時、沖縄と硫黄島での土俵入りの新聞記事を見て、それが今の相撲協会にもしっかり受け継がれていることを知って、驚きました。
(墓地で演じられる墓獅子)
(能の宗教芸能の時代の要素を残す「翁」(再生は三番叟鈴の段から)
(足踏みに特化した「乱拍子」(能『道成寺』))
(三章3で宗教芸能から世阿弥の夢幻能が生み出される過程を取り上げています)