甲子園に本当に価値はあるのか
夏の甲子園。
大半の高校球児が目指す場所。
世間は、夏の風物詩と呼び、注目度も高い。
毎年のように夏になると、「甲子園」がトレンドになり、盛り上がりを見せる。
これまでの経験で、強く思ったことがある。
それは、「甲子園って本当に価値はあるのだろうか」。
甲子園の土を踏んだことのない人間からの目線である。
甲子園未出場者から見た甲子園、甲子園出場者から見た甲子園。
ここには大きな違いがあると思っている。
甲子園について様々な観点から追求していきたいと思う。
青春の全てを捧げた高校時代
筆者の私も皆と同様に、高校時代、甲子園を目指し、青春の全てを野球に懸けて練習をしていた。
本当に全てを懸けていた。
読者の方にもこの気持ちの方は多いはず。
甲子園に行くために、福島県内の「学校法人石川高等学校」に入学。
聖光学院を倒して甲子園で勝つことが目標。
寮生活をし、沢山の経験をした。
朝5時から練習をしたり、夜の2時までバットを振っていたり、睡眠時間を削ってまでも野球というものに懸けていた。
最後の夏、聖光学院にあたる前にベスト8で敗北した。
その時に、思ったことがある。
「これまでの練習ってなんだったのだろう」。
負けて悔しい気持ちもあったが、目標を達成できなかったことに対して、虚無感に近い感情になった。
大学に進学するか、地元に就職するかの2択が地方では当たり前のように選択肢として出てくる。
地元に残る選択肢は1mmもなかった。
「俺はこんなところで終わる人間じゃない」。
謎の自信があった。
いずれにしろ、大学に進学するのならば教員免許が取れる学校にいき、指導者の道を目指そうと思い、進学先を探していくことになった。
甲子園のスターに圧倒された入学当初
大学は、日本体育大学に進学。
硬式野球部で4年間活動した。
最初は、知り合いが一人もいなく、福島の田舎から出てきたこともあってかなりの不安があった。
入寮日には、部屋は1年生から4年生のミックスと言われて先が真っ暗になったことを今でも思い出す。
日本体育大学。
日本を代表する有名な体育大学である。
同じ釜の飯を食う仲間には、甲子園で有名だった人間がいたり、同期には甲子園優勝しているキャプテンがいたり、甲子園で2HR打っている人間がいたりとスターが沢山いた。
先輩方には、菅沼賢一さん(日大三高)、谷口雄大さん(日大三高)、阿部翔人さん(石巻工業)、服部将光さん(浦和学院)などがいらっしゃった。
同期には、中村誠(大阪桐蔭)、峯健太郎(敦賀気比)、渡会晃大(延岡学園)など、甲子園で名を連ねたメンバーがいた。
日体大の良さは以前記事にしているので下記参照としてリンクを貼っておく。
当時は、しごきとかあるのかとか、挨拶とか上下関係は高校以上のものなのかとか、沢山の感情を抱えていた。
入寮すると、様々なルールがあったが、人は不思議なもので環境に順応していく。
きついと思っていることも慣れていく。
入学して最初は、推薦組と一般組で大きな差があるように感じる。
練習も一軍に帯同しているメンバーも多かったり、主力として活躍している人間もいた。
こちらとしては、負けたくないと思いながらも、甲子園のスターを目の当たりにすると、1つも2つも上のレベルに彼らがいるように感じてしまう。
だが、皆分け隔てなく、「同期だから頑張っていこう」「チームだから共に頑張っていこう」と温かく迎え入れてくれた。
寮で生活をしていると自然にその距離が縮まってくる。
勿論1軍から3軍まであるのでレベルで言うと全く違う世界にいる人間もいる。
その中で私はどう生き抜くかと日々奮闘した。
客観的に野球を観るようになって感じた違和感。
1年時で選手を上がり、アナリスト(データ班)として、チームを見続けてきた。
指導者を目指す私にとっては、データ分析は絶好のチャンスだと思い自ら選択した。
勿論、野球選手として才能がなく、落ちこぼれであるからこそ、別の道で頑張ってやると思っての選択でもあった。
プロ野球に進む仲間もいたりと、私の中ではかなり高いレベルの野球を経験した。
今となってはその日々が財産になり、現在の思考に至る。
大学途中から気づき始めたが、社会に出て確信に変わったことがある。
結果しか評価されない。
その過程などどうでも良く、結果にシビアな世界が日常にある。
結果を出せなかったからこそ、社会人になり、「結果」にこだわり、目標を常に達成し続けてきた。
目標に向けての逆算して考える思考が、私の場合、「敗北」や「劣等感」から身についたのだと思う。
大学時代、感じたことがある。
「甲子園って本当に価値があるのか」という漠然とした疑問である。
大学で野球をやっていると、成長していく人間、衰退していく人間どちらかに分かれる。
よく現場では、腐っていく人間とも表される。
私からすれば、甲子園に出ていて、あれだけ注目された選手と共に野球ができる事を幸せだと感じていた。
だが、当の本人は、野球に対する情熱が消えてしまってる。
私からすると、「なんであの選手が、、、、、」。
野球人の憧れの場所で野球をやり、輝いていた人間が、「もう野球はいいや」。
こう言っている。
こんなことが絶対にあってはいけない。
特に教育の場では。
絶対に。
私は、甲子園というものが大きすぎることによって、選手としての人生だけではく、人生までバーンアウトさせてしまっているのではないか、そう強く思った。
バーンアウトは本当に選手自身のせいなのか
結論、大人が悪い。
私はそこに行き着いた。
成長するのも、衰退するのも選手自身だと言う声が聞こえてくる。
本当にそうであろうか。
未熟な学生だからこそ私は否定する。
大人が悪い以外何者でもない。
野球を諦めることは決して悪いことではない。
選手が甲子園という大きな目標を失った後に喪失感を感じることはあってはならない。
ましてや、人生を諦めてしまうなんていうことは絶対にあってはならない。
社会に出て活躍できる人材なはずなのに、人生の中で、高校時代が一番頑張っていたと将来言わせてはいけない。
指導者が一緒になって甲子園を目指すことはもちろん否定はしない。
だが、指導者としてそこは必須で求められていない。
本人ー野球=無。
こういった選手が多すぎる。
野球の弊害と言い切ってもいい。
野球というスポーツに依存しているのは指導者の方なのである。
だから古い考え方がなくならない。
野球が人生そのもの?
断言する。
全くそうではない。
人生野球が全てではない。
ここに高校球児が高校時代のうちに気づくことができないと毎年毎年、同じことの繰り返しになる。
野球界では知らない人がいない大谷翔平さん。
その大谷さんを知らないアメリカ人は沢山いる。
野球人からすれば野球は特別なものと信じているのは構わない。
私も野球というスポーツは身をもって素晴らしい競技だと言える。
だが、野球は全てではない。
そして、高校、大学野球は教育の一環であるということを大人が忘れてはならない。
だからこそ、私は、野球を通して、教育界を変えたい。
私はその思いで、就職活動をし、現在に至る。
そして未来もその思考で動いていくことをここに約束したい。
甲子園出場者から観た甲子園
ここから先は
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?