オーストラリアでの1週間🇦🇺
皆さんいかがお過ごしでしょうか。
僕のことを知っていただけている方はわかっていると思いますが、現在オーストラリアにいます。
ワーキングホリデーという国の制度を利用して、1年間オーストラリアに滞在する予定です。
ワーホリって何ぞやっていう人はこちらを見てみてください。
1年間のVISAで、シドニーにまず3ヶ月間滞在予定です。
なぜかというと、僕は全く英語が話せないので、学校に3ヶ月通うというわけです。
学校はシドニーのtawn hallという駅の近くで都会の中にあり、家はホームステイでバスで約50分ほど離れているところにあります。
来て間もないのでとりあえずシドニーといえばオペラハウスかなと思い、オペラハウスに学校のメンバーと行ってきました。
写真貼っておきます。
ここからはリアルな体験と感じたことを本音で書いていきます。
これから海外にワーホリを利用して行ってみたいな、興味あるなっていう人は是非みてみてください。
なんでオーストラリアを選んだ??
正直、オーストラリアに来るという未来は一年前には全く考えていませんでした。
僕のことを初めて知ってくださる方もいらっしゃると思います。
簡単に経歴を書いておきます。
学法石川高校
↓
日本体育大学
↓
ゼニアス(2019.4-2023.3)
↓
無職(2023.4-
ボディビル競技のフィジークに挑戦
↓
オーストラリア(2023.4.6-
という感じです。
高校、大学は幼少期から行なっている野球をずっと続けてきました。
高校は主将として、大学は1年時で選手を辞めて、学生コーチ(アナリスト)として7年間寮生活を経験しました。
社会人になり、不動産の売買営業を4年間行い、200億ほどの金額を4年間で扱うことができました。
収入も2年目で1,000万円を超え、3年目では3,000万円を超えていました。
2年目から管理職に上がり、チームも持たせてもらっていました。
会社にいれば、控えめに言っても2,500万円は下回らなかったと思います。
その生活を急に辞め、フィジークという競技に1年間満ぶり。
初大会で優勝を狙うも、2位という結果に終わりました。
そして現在に至ります。
なぜ僕がここに立っているのか。
わざわざヒエラルキーの下に身を置く選択をしたのか。
まずはそんな話をしていこうと思います。
どうせ人は死ぬ。
僕の心のど真ん中にあるのはこの考え方。
人は早かれ遅かれ必ず死を迎えます。
どんな環境でどんな身分でもみな平等に死んでいきます。
そこで僕はこう思ったわけです。
どうせ死ぬならDr.ヒルルクみたいに死にたいなと。
ヒルルクって誰?となったと思います。
ヒルルクはONE PIECEの作品に出てくる登場人物です。
ワンピースにハマっていた時代(大学時代)に、うわ、この死に方だな、と思ったことを鮮明に思い出します。
「まったく!!!!いい人生だった!!!」
ONE PIECE好きな方はヒルルクの渋さをわかってくれる事でしょう。
かっこいい死に方なんですよね。
チョッパーのために死んだわけではないけれど、死に方が美しい。
死ぬ前にこう言うんです。
ヒルルク:
人はいつ死ぬと思う?心臓を銃で撃ち抜かれた時?違う。
不治の病に侵された時?違う。
猛毒キノコのスープを飲んだ時?違う。
人に忘れられた時さ。
俺が消えても、俺の夢は叶う。
病んだ国民の心もきっと救えるさ。
何故に泣く?ドルトンくん。
ドルトン:国も同じだろうか?
ヒルルク:受け継ぐ者がいりゃあな。
もうすぐここに化け物がやってくる。
俺の息子だ。
手出すなよ。
安心しろチョッパー。
お前のキノコじゃ俺は死なねえ。
まったく!!!!いい人生だった!!!
ありがとよチョッパー。
この命を何に使うのか。
そう。
僕は人を残すために生きよう。
そう考えました。
人生の選択の源泉はここにあります。
元々は教員志望。
日体大に入る時、体育教師になりたい。
野球部を持ち、学生の指導をしたい。
そう考えました。
教育というものを学んでいくうちに自分の力不足を感じました。
このままでは何を語れないし、何を教えられるのだろう。
そう考え、教員という選択肢が自分の中から消え去りました。
ですが、将来は人を残したい。
ということは教育に携わることは間違いないことだと確信しています。
甲子園優勝すれば、教育に注目がいくなと考え、長期目標も甲子園優勝としました。
そこから逆算して就職先を決め、ゼニアスという不動産会社に入社しました。
目標は20代で年収2,250万円。
当時僕が調べたプロ野球選手の20代の平均年収でした。
それを達成しようと思い、不動産を選びました。
人は不思議で目標を達成すると次なる目標が必ずと言って出てきます。
ぼんやりと、次は起業だな。
そう考えました。
ただの好運な若いやつだな。
起業しようとぼんやり考えていましたが、あまりピンと来ずなかなか一歩踏み出せないでいました。
その時に、なんでなのかなと考えました。
結果的に、運が良かっただけで、自分自身の実力に確信を持てなかったからだと思っています。
不動産の営業なら年収何千万という数字は難しくはない数字です。
これから自分のできること、社会が求めていることの輪の中で、戦っていこうと考えた時に、人材紹介(いわゆるリクルート)が自分に向いていると考えました。
そうなると顧客となるのは大学生をはじめとするアスリートと経営者もしくは人事担当。
大学生には多少響きがいいかもしれません。
ですが、経営者側の説得力にこのままではかなり欠けるなと考えました。
そこで、経営者には体を鍛えている人が多いことを知っていたし、何より体という努力でしか培えないもので結果を出そうと考えたわけです。
そこでフィジークという競技で結果を出そうと考え1年間振り切ることができました。
とある一言でオーストラリア行きが決定。
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