生き方より大切なこと
人は様々な選択をする。
大なり小なり毎日絶え間なく選択をしている。
今、こうして記事を書くということも選択。
よく、生き方に悩む人を見かけることがある。
"目標がない"
生き方になど悩む必要はないというのが私の持論。
生き方に悩むということは、答えのない問題を解くことに似ていると思う。
人生に正解など存在しない。
唯一、万人に共通していることがある。
老若男女変わらない唯一のことは何か。
それは"人は必ず死ぬ"ということである。
生まれた瞬間に死に向かって人は生きる。
よく、何のために生きているかと聞かれることがある。
"目標を達成したいから"
"幸せになりたいから"
などと答える人が多い。
人は確実に死ぬ為に生きている。
だから目標がなくても良いに決まっている。
人それぞれ死ぬ瞬間に思うことは違う。
"よかったな"
"良い人生だったな"
"あのときこうしてればよかったな"
"悔しい"
"苦しかった"
"やっと終わった"
など。
予想できるのはこのくらいだろうか。
病気や、交通事故などで命を失うこともある。
寿命を迎え老衰して命を失うこともある。
"死"というものは常に日常と隣り合わせのように感じる。
いつ死んでも良い生き方をするというのは理想であるが、私は不可能だと感じる。
死と直面したときに初めて命の尊さを感じるだろうし、当人にしか本当の気持ちは分かり得ない。
もしかするとその気持ちを持てない瞬間の方もいるかもしれない。
体験したことしか語れないと同じである。
冒頭に書いたが人は選択の連続を意識、無意識にしている。
挑戦と言われる選択をする人もいる。
妥協と言われる選択をする人もいる。
だが、選択ということに変わりはない。
その本人がどういう最後を迎えたいかによって選択全てが変わる。
経験の先に得られるものは、知見や教養。
沢山の経験をすることで感性が高まりより豊かになる。
ポケモンで例えるのならば、マサラタウンで生涯を過ごすのか、全国旅に出て沢山のポケモン、トレーナーに会うのか。
どちらも自ら"選択"していることに変わりはない。
人生最期の瞬間に"マサラタウン最高!!"と死ぬのも、"本当にいい経験できた!よかった!!"と死ぬのもそこに他者介入は絶対にできない。
本心次第という言葉で片付けられるほど簡単ではないが、本当に本人次第なのだと思う。
生まれた地域、育った環境で価値観は創られていくが、大人になっても価値観は破壊も上書きもできる。
いわゆるパラダイムシフトと言われるものは日常に転がっている。
今この記事を書いている瞬間も疑問が生じている。
待てよ、死ぬ瞬間を感じられない人ももしかしたら存在するなと。
ということは今が幸せと感じられるのならばそれが全て正解なのではないかと。
考えても答えがないことを今考えている。
結局生きていれば何でも出来るから生きているだけで幸せだなとか。
人はいつか必ず死ぬ。
そのことを頭のど真ん中に入れていれば必然的に良い選択をし続けられるのではないかと思う。
ネガティブはマクロに、ポジティブはミクロに。
私の必勝法である。
迷ったときは死ぬことを一度考え、ポジティブに変換して行動することを残された時間も大切にしていきたい。