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真剣勝負

2022年6月19日。

格闘技界で世紀の一戦が行われた。

武尊選手vs那須川天心選手の試合。

現地で観戦したわけではなくPPVでの観戦。

だが、心が動いた。

現地の人はもっと動いたんだろうなと思うと羨ましい。

今もその余韻でこの記事を思うままに書いている。

きっと文としては纏まらない。

だけどこの気持ちを記しておかないと気が済まない。

そんな気持ち。

さて。

最近思うこと。

「命燃えてんの?俺」。

勿論仕事は頑張って成果を上げ続けているし、今の自分に満足しているわけでもない。

燃え尽きているわけでもない。

毎日刺激的で楽しい生活であることは間違いない。

今日の試合を見て改めて思ったことがある。

命を燃やして真剣に生きている人はかっこいいなと。

かっこ良すぎるなと。

まだまだ自分は甘いし、環境に甘えているなと。

真剣に生きれているのかなと。

真剣って何かって言われてら、あの「真剣」。

切られた方が死ぬし切った方が生きる。

真剣を握って命懸けで戦っていた時代がある。

まさに武尊選手と天心選手は真剣な戦いだった。

想いを背負った真剣勝負だった。

人はなぜスポーツに心を動かされるのかと考えたことがある。

僕の中の答えは、命を燃やしていることが目に見えてわかるから。

という答えだった。

社会人に出てもスポーツを見ると何故だか他人のことなのに感動する。

スポーツだけじゃない。

他人が命を懸けてやっていることが視覚化されているもの全てに感動する。

それはきっと頑張っている人のどこかに自分を重ねているのだろうとも思う。

頑張っていることが社会の中では視覚化されにくい。

どれだけ成果を上げても周りから見たら全く分からない。

だからこそ視覚化されるスポーツに多くの感動が生まれ、他人の人生まで変えてしまうのだと思う。

人がやりたいことは、動詞にあると言われている。

〇〇している時の自分が好き。
勝利のために〇〇を考えるのが好き。

この中にやりたいことがあるとよく言われている。

僕の中で甲子園優勝するという目標は社会人になっても変わらない。

遊びに行ったり、お酒を飲んだり、女の子と遊ぶのは勿論楽しいことだけど、本当の楽しさはきっとそれじゃないと僕は思う。

自分が思っている正解に向けて走るだけ。

僕は教育の文化を変えたい。

変えたいというよりは、子どもたちに自分の人生を最期まで生き抜いてほしい。

途中で何かを諦めるのではなく、自分の人生の目的に向かって生きてほしい。

という願いがある。

幸せや楽しいという価値観は人それぞれ。

今僕にできることは何か。

今の自分が将来の自分を作る。

将来の子どもたちのために僕は自分の人生を生き抜く。

会社員としての成績?
年収?

そんなの死んだ後に残らない。

僕のゴールは死んだ後にある。

もっと命懸けでやらないと。

平和ボケしていたことに薄々気づいてはいたけど、やっぱりこのままじゃダメだなと武尊選手と天心選手の試合を見て思った。

よし。

やるぞ!!

気合一択!!

押忍。


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