アイデンティティー 作:☆
“私”はあたしが嫌い。
あたしは朝食に大好物のアップルパイを食べ、ピンクの細リボンで一本のゆるふわ三つ編みを結い、艶やかな焦げ茶色のローファーを履いて家を出た。隣では同じ顔、同じ格好————あたしはメガネをかけてないけど————をした彼女が、退屈そうにスマホの画面を眺めながら歩いている。
双子の姉。大人しくて真面目な、見た目こそはあたしと瓜二つだけど、あたしと違って世間から期待されている優等生。学年トップを独走中、運動は苦手らしいけど、成績表では全教科、体育も最高得点がついている。……対してあたしは学年最下位独走中、運動は得意なのに、成績表では全教科、体育でさえ最低得点。期待どころか見てすらもらえない、不良のレッテルが貼られた問題児。
だけど、そんなことは気にならない。注目されないっていうのは自由で、常に背中に、重いものを背負いながら歩く生活よりはよっぽど楽しい。それにあたしは、素行が悪いように見えるようだけど、寝坊癖と学力以外は特に普通。不良って言われてるのだって、ちゃんと関わればすぐに誤解はとけるから平気。
「オレ、お前の姉ちゃんみたいなのがタイプだからさ、お前みたいなヤンキーは無理」
……うん、平気。
告白されて、玉砕しておいてなんだけど、別に好きな人でも、あたしと真剣に関わろうとしない奴にフラれたって平気。確かに第一印象っていうのは大事だけど、それだけしか見ないであたしのこと嫌いだって言う奴が悪いんだ。
「そんなことより、今度、姉ちゃんの好み聞いといてよ」
ほら、クズ。
「あいつはお姉ちゃんみたいな人が好きなんだってさー!」
あたしはお姉ちゃんの部屋で棒状のスナック菓子を食べながら、勉強している姉に愚痴をこぼす。普段なら母が怒りに来るんだけど————お姉ちゃんの邪魔をしてあんたどういうつもりなの!って————、でも今日はいない。父方の祖母が入院して、単身赴任で海外にいる父の代わりに看病に行かないといけなくなった、らしい。
「私はあの人嫌いだけどな、チャラチャラしてるだけで中身がないし。あんたには合わないと思う」
むしろふられてラッキーだったのかもね。
姉は机に向かったまま、クスクスと笑った。私が嗚咽を漏らしながらお菓子を食べているのなんか興味無さそうに「あんたにはもっといい人がいる」と付け足して、それから手を差し出してくる。あたしはそこに手を乗せる。けど姉は違う、と手を払って、もう一度差し出し直した。
「素直にちょうだいっていいなよー!」
涙で赤く腫れた目を擦り、呆れ笑いを浮かべながらあたしは姉の手に一本置く。「ん」とだけ言って受け取った姉は、じゃがいもの棒をサクサクと音を鳴らしながら、手を使わずに器用に食べた。
そこからは二人とも、特に言葉を発することはなかった。ぎゅいん、ぎゅいん。ざっ、ざっ。ペラペラ、サクサク。ただそんな音が姉の部屋に、ずいぶん長く響き続けた。あたしはただ、姉の部屋に置いてあった本をぼんやりと読むだけ。
————人間は、正しくは生まれさせられる。
本にはそんなことが書かれていた。あたしは姉の背中をちらと見て、そこに座っている彼女の姿を自分の姿と置き換えて、考えてみる。
姉は、優等生であり続ける真面目な彼女は、注目を浴び続けることを、あたしと同じように『重い』と感じているのだろうか。あたしは姉の目に、自由に映っているのだろうか。
そんな考えが伝わったのか、姉は「いいね」と独り言のように呟いた。
「あんたはあたしの邪魔をしない限りは怒られないし、変に心配もされないし、外に連れ歩かれる訳でもない。自由でいいね」
その声はどこか寂しげで、あたしは思わず、独り言のように呟いて返す。
「自由はいいよ。見られないのも、期待されないのも楽。……だけど今日は、ちょっぴりお姉ちゃんが羨ましかった」
あたしをフったあいつは、あたしなんか見ていなかった。でも姉のことは見ていた。姉のことは知りたがっていた。
確かに、あたしをフったた奴はクズだけど、自分で誤解をとこうとしなかった、いや、真面目に生きてなかったあたしも悪い。だけど今から、あたしが変わるっていうのも、多分無理。誰もあたしを見ないんだから、あたしが変わったって気づかない。そういう努力は無駄、ただ虚しいだけ。
「お姉ちゃんになりたいな」
気づけばあたしは、そんなことを漏らしていた。再び静かになっていた部屋に響いたその声は、やけに大きく感じて。
「あ、えっ、うぅ……」
情けない声を出しながら何を言おうか悩む私に向かって、姉は「私はあんたになりたい」と返す。メガネ越しにまっすぐ見つめてくる二つの目。あたしは雷に打たれたような衝撃を受けながらも————雷に打たれたことなんてないけど————、しっかりと見つめ返す。
そして、三度目の沈黙。————それを破ったのは、
「入れ替わってみる?」
どちらかの言葉だった。
*
私は朝食に、大好きなアップルパイを食べた。それから、ピンクの細いリボンで一本、ゆるめの三つ編みを結い、艶やかな焦げ茶色のローファーを履いて、家を出た。隣では同じ顔、同じ格好(私と違って眼鏡をかけていないけれど)をした彼女が、楽しそうにスマホの画面を見つめながら歩いている。
双子の妹。見た目こそは私と瓜二つだけど、あたしと違って、期待どころか見てすらもらえない、不良のレッテルが貼られた問題児。学年最下位独走中、運動は得意なのに、成績表では全教科、体育でさえ最低得点。対して私は、学年トップを独走中、運動は苦手らしいけど、成績表では全教科、体育も最高得点がついている。世間から期待されている優等生。
「妹から話は聞いたわ。気持ちはありがたいけれど、ごめんなさい。私の大切な妹を小馬鹿にするような人とは付き合えないの」
————結論から言うと、入れ替わり作戦は大成功。今日で一ヶ月たつけれど、あたしは“私”をちゃんと演じきれているし、姉も……いや、妹も、まだ誰にもばれていないみたい。勿論、両親にも。
だって私たち、はじめから真逆だったみたいに、私は真面目に、妹は莫迦になっているもの。私たちでさえ、自分が本当は姉か妹か、時々分からなくなるのに、当事者以外が気づくことなんてないじゃない?
「ねえお姉ちゃん、すっごく素敵だよね!」
食事中、姉だった彼女は私に、なにか同意を求めてきた。教育熱心な母は————妹が接触すると私が莫迦になるからと引き離したがる彼女は————妹を睨み付けて、
「お姉ちゃんを困らせるようなことは聞かないでちょうだい!」
と怒鳴った。
少し前まであたしだった私は、大声で笑いたくなるのを懸命に堪えて、それからおしとやかに「そうね」と返した。母はゆっくりと瞬きして、それから「この子の意地悪なんて無視していいのよ」なんて苦笑する。はじめこそ注目されるのは嫌だったけれど、今は、かつて自分を莫迦にしてきた人たちが、一生懸命私を持ち上げようとする姿を見ているのが、楽しくて。あたしだった人間は、彼女と同じように、入れ替わってよかった、と心から思えるから、幸せだ。
ピーポーピーポーピーポー……。
そんな幸せな日々を壊したのは、煩いサイレンの音と、眩しい赤のランプをもつ、白と黒の車だった。中から出てきた中年の男二人が妹の名前を呼び、手錠をかけようとする。
「待ってください!違うんです!妹はあたしで……ええと、違います!本当は私が姉なんです!」
父に体を押さえられ、手錠がはまりそうになる中、かつて姉だった妹は、そんなことを叫んで一生懸命逃げようとする。
どうやら彼女が火のついた煙草を道端に捨て、そのせいで民家が全焼、死者も出たらしかった。
————なるほど、そういうことだったのね。
私が妹だった頃に貼られた不良のレッテル、それは、姉だった彼女が、妹だった私に変装して、悪い遊びに手を出していたからで、つまり私は何も悪くなかった。……いや、悪くなかったんじゃない。人々が抱いていた妹のイメージ自体が、そもそも私のものではなく、目の前で自分の非を認めようとしない、愚かな彼女のものだったのだ。
「ねえ、あんたもなんか言ってよ!」
愚者は、かつて姉で、それから妹になったそれは、私によく似た顔を歪ませ、私に向かって叫んだ。私は、勿論姉として、優等生として、警察の人に頭を下げ、謝った。
「人が亡くなってしまった以上、この子の肩を持つような行為をしてはならないのは分かっています。ですが、本当は、彼女は誰かを傷つけるような真似をする子じゃないんです……」
涙を流し、私が頭を上げずにそう言い切ると、警察の人は「薬物の所持なども視野にいれて調べるか」なんてこそこそ話してから、私に軽く頭を下げた。
「……どうか、妹をよろしくお願いします」
警察の人が妹を車に乗せ、頭を下げる私たちに人形みたいに今後の説明をする。妹は、愚者は車内で、別の警察官に押さえつけられながら、私に何かを必死に訴えていた。
何を?
そんなくだらないことなんて考えている暇はない。私は愚者のせいで、犯罪者の妹をもつ姉、という汚名を一生背負って歩き続けなければならなくなったのだから。
「あんたは自由でいいね」
あんたは私を利用して、両方手に入れていたくせに。あんたは姉で、妹だったくせに。
ほら、クズ。
私の全てを奪った、愚か者め。
「さあ、お前も家に戻りなさい。こんなところに居続けては、体が冷えてしまう」
優しく上着をかけてくれた父に、私は問うた。
「私は一体、誰なんだろうね」
“私”はあたしが嫌い。