青い夏と海 作:紫月
――どうしてここへ来てしまったのだろうか。
ザァザァと、壮大な音がする。私は何か悩み事があるといつもこの海を見に来てしまう。
今日は散々な一日だった。朝寝坊したせいで髪の毛がボサボサのまま学校へ行って、所謂カースト上位の子たちにクスクスと笑われた。後ろにパスしないといけないプリントをばらまいてしまって、拾うときに紙で手を切ってしまった。お弁当にお箸を入れ忘れてしまった挙句、せっかく母が作ってくれた出汁巻き卵を床に落としてしまった。体育では転んで膝を擦りむいたし、外で運動している間に蚊に何箇所も刺されてしまった。
たまにこういう日がある。何をやっても上手くいかない日。何か悪いことをしてしまったのか、入ってはいけない場所にでも入ってしまったか。なぜだかわからないけれど、全てが自分に不利に働く日。
この視界いっぱいに広がる海を見つめていると、自分の悩みがちっぽけなことに感じられる。今日も生きているしいっか、というふうに。それでもやはり、つらいことはつらいけれど。
一つ心配なこと。気になるあの人は私を嫌いになってしまっただろうか。今日、数人で集まって一緒に帰ろうとかいう約束をしていたのに、それを蹴って一人でここへ来てしまった。明日なんて言って謝ればいいだろう。
ふと彼のことを思い出した。優しい眼差しで私を見る彼のことを。思わせぶりな態度ばかりしてくる彼。元来誰にでも優しい人なんだろうな、とは思うけれどその眼差しを私ただ一人に向けてくれたらいいのにとも思う。
少し赤くなってしまった顔を冷やしたくて、靴も靴下も脱いで海水へと一歩踏み出す。降り注ぐ紫外線のことを思い出したけれど、数分ぐらい大丈夫だよね。照り付ける夏の日差しはこんなところにまで影響を及ぼしていたみたいで、海水は思っていたよりも冷たくなかった。あーあ、ついてないなぁ。
足音が聞こえた気がした。それはローファーのコツンコツンといった音じゃなくて。聞き間違いでなければ、何度も思いを馳せたあの。
「おーい、大丈夫か? みんな待ってんぞ!」
振り返れば、満面の笑みで手を大きく振りながらこっちに歩いてくる彼の姿。目頭が熱くなる。こっち見ないでよ、と顔を背けて俯いた。私の意図に気付かず隣に立ち海を眺める彼に怒りが湧かないでもないけど、それよりも嬉しさが勝つ。
「海綺麗だなぁ。……お前、もしかして泣いてる?」
認めたくなくて、顔を手で覆ったまま首を振る。ふと、頭にぬくもりと少しの重みを感じた。思わず顔を上げてみると、やっぱり彼の私より少し大きな手。目が合うと、彼は慌てて手を下ろす。
「ほ、ほら、みんな待ってるから早く行こうぜ」
ハンカチで足を拭いて海から出る。鞄を探すと、彼の手にあった。
「……ありがと」
「どーいたしまして」
素直になりきれない自分に嫌気がさす。それでも私に失望せずに接してくれる彼とほかのみんながいるから。
嗚呼、今日はいい日だなぁ。なんてさっきの今で思える私は単純すぎるのかもしれないけれど。
海を振り返った。少しだけ朱に染まった水面に光が反射する。やっぱりこの海が好きだな。半分後ろを見ながら歩いていると、前を歩いていた彼が止まった。
「あのさ」
「ん? 何?」
「……いや、なんでもない」
彼は照れているかのように早足で歩き始める。小走りで隣に並ぶと、自然に歩幅を調節してくれる。そんなさりげない優しさが――。