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自分勝手な子になるかも?という不安【モンテッソーリ教育】


モンテッソーリ教育は
社会性が育たない
というウワサがあります。

もしそれが本当なら
我が子をモンテッソーリ教育で教えるのは
ちょっと、、、思いますよね。

それでは
このウワサは本当なのでしょうか。


結論:まったくの誤解

ご安心あれ^^


ということです。
よかった〜〜 一安心ですね!

それではなぜ社会性が育たないのでは?
自分勝手な子になってしまうかも?
という誤解が生まれてしまうのでしょうか。


・ 自分で決めたいことを決めて行う自由教育だから
・ 集団に収まる経験をしてこないから


これが社会性が育たないのでは?
というイメージがついてしまう原因です。

実はわたしも、
自分勝手な子になる可能性が
あるんじゃないかな、、、
と不安だったうちのひとりです。

でも、
モンテッソーリ教育でも
しっかり社会性は育まれていきます。

その理由を紐解いてみましょ〜う!


まず、
< 社会性のイメージ >ですが、

・ みんなと同じことができる
・ 友だちみんなと仲良くできる
・ 友だちに優しくできる
・ 友だちにいじわるしない
・ 先生の言うこと聞ける

こんな感じ、ですよね。
これらができるようになってほしいと思うし、
これらができるようになったら
うれしいですよね!


でも

モンテッソーリ教育では驚くことに
社会性を子どもに直接的に教えません

うをぉぉぉい!!
話が違うじゃないかああああ!
やっぱり社会性無法地帯じゃないかぁい!!


と思いますよね。
でもね、

それにはちゃんと理由があるんですよ^^

モンテッソーリ教育では、
社会性そのものを直接的に育てるような
一般的な教えをするのではなく、

社会性が内側から湧き出てくるような
関わりをする
ということです。

うーむ、抽象的でよくわからない、、、
ですね。


一般的な教育は、、、
・ みんなと仲良くね
・ 泣いているお友達には声をかけてあげよう
・ けんかはしないよ

などなど直接的に社会性を教えていますよね。

でもこれって、、、
果たして本当に社会性なのでしょうか??

え、ちがうの??

そう、じつは根本のここから見直していきます。



もし、
ケガをして泣いている友だちがいた時、、、
どっちの考え方が社会性でしょうか。

・ 「あ、泣いている子がいる。
そういえば、先生が泣いている子には
優しくしてあげなきゃいけないって言ってたな。
面倒だけど助けなきゃなぁ、、、
助けたら先生に褒めてもらえるかな^^」
・ 「あ、泣いている子がいる。どうしたのかな。
心配だな。自分にできることがあるかな。
声をかけてみよう」

こんなに風に言葉ではっきり
思っているわけではありませんが、
こんな思考をした末に子どもは行動に移します。


助けるということは同じなのに、
助ける動機がまったく違うふたつのパターン。

先生やその後の評価をされる自分に
気持ちが向いている前者。

目の前にいる相手のことだけに
気持ちが向いている後者。

子どもにどっちの社会性を
身につけて欲しいかは明確ですね^^



実は、
「こうゆうときはこうしなさい」
と大人が教えこんでいくと、
偽りの社会性が身に付いてしまう
可能性があるんです。

誰かに言われたからやる、という動機は、
自分の心がここにない「偽りの社会性」

自分の意思で「やろう」と決め、
必要性を感じられたから
行動に移すことができた「真の社会性」


表面的な行動は同じなのに、
心の中は誰に意識が向いているかが
明確に違いますよね。

こんな事例を見ると
社会性は子どもの内側から
自然に生じるべきもの

ということがわかります。

社会性は
・ 先生に言われたから助ける
・ 人の目があるからここはこうしておこう

というものではなく、
そこに必要性があるから
「こうしよう」と
自分の中から湧くべきものなんですね。

大人は結構、偽りの社会性で
動いているところも多い気がしますね。
それが 忖度 なのかも知れません 汗


「心配だな、自分に何かできるかな。
声をかけてみよう」

と思えるのが真の社会性とするならば、
どうしたらそれを
育てることができるでしょうか。


それを左右するのは、、、
「個」が満たされているかどうか、です。

「個」というのは個人の個。
集団ではない自分という個人。

モンテッソーリ教育は個別教育。
一斉教育に比べて、
自分の好きなことを好きなだけ活動できる、
時間や環境が保障されています。


「個」が満足しているからこそ、
他人に目を配る余裕ができる。

自分が喜びや満足に満ち溢れているからこそ、
他人に喜びや満ち足りた気持ちを
おすそ分けしてあげられる。

いつもこれしなさいあれしなさい、と、
自分のやりたいことを
無意識に抑えている状態で、
困っている人に
手を差し伸べてあげられないですよね。

大人でもいっぱいいっぱいだったり
満たされていないときに
優しい言葉はなかなか出てきません。

自分が満足しているからこそ、
他人に目が向き、
困っている子がいたら
自然と手が差し伸べてあげられる。

両手で抱えたクッキー缶に、
溢れるほどのクッキーが入っていれば、
大人が指示しなくたって
笑顔で友だちに分けてあげることができます。

逆にのこり1つで自分もお腹が空いていたら
譲ることはできません。

自分が満たされているということは、
社会性の真逆とは位置にありそうですが、
じつは見えない糸でしっかりと
繋がっていたんですね。


でも、
どんなに個が満たされていても
どんな言葉を使って
どんなふうに表現をしていけばいいかわかりません。

ここでついに大人の出番!

・ 相手に対する表現方法や語彙を示してあげる。
・ 断りの仕方、
  依頼の仕方を伝えていく。


ベースが出来上がった子どもに
伝えていくのはこれだけ。

満たされた「個」が強い核となって、
表現方法という武器を持つと、
真の社会性に繋がっていく。


満たされた「個」 × 表現方法 = 社会性

という形で、
モンテッソーリ教育では社会性が育まれていきます。



< 私たちが考えていた社会性 >

・ みんなと同じことができる
・ 友だちみんなと仲良くできる
・ 友だちに優しくできる
・ 友だちにいじわるしない
・ 先生の言うこと聞ける

これらのことは大人が教えるもの、
しつけていくもの、
と考えるのが一般的でした。


< モンテッソーリ教育の社会性 >


満たされた「個」 × 表現方法 = 社会性


・ 「 真の社会性 」を育てるために、この公式を使う
・ 「 偽りの社会性 」を生まないために
直接的に社会性は教えないようにしたい

・ 適切な表現方法や語彙を子どもに伝える

だいぶ考え方に差がありますね^^


「個」の大切さがわかったところで、
表現方法については
どんな風にしていけばいいでしょう


たとえば、、、

「か〜し〜て〜」と言われて

(イヤだな、、、)

と思った時は、
その伝え方を示していきたいです。

けんかは、
自分の意見や主張をお互いに伝えようとしていくこと。
子どもたちはまだまだ語彙数や
伝え方の経験が少ないので
「だめ!」
「やだ!」
ときつい言い方になってしまいます。

でも、
自分の意見や主張を
相手に伝えようとすること自体は
素晴らしいですよね。
ただ、その方法を知らないだけ。

けんかは、問題をどう解決していこうか
考えていくきっかけになります。

それを繰り返して、
解決する力も身につきます。

その機会を避けようとしたり、
けんかは悪いこと、
仲良くしなさい、
「いいよ」というイエスの選択しか与えないと、
子どもは意見を持つことは
悪いことだと思ってしまいます。

断り方を学ぶという
機会もなくなってしまいます。

ただ、

「貸してよ!」
「いやだ貸さない!」

と、いうやりとりでは
自分も相手も具合が悪い。

そうやってぶつかるところを、
お互いに平和的にまろやかにする方法を
大人が伝えてみます。

「ごめんね、今使っているから後でもいい?」

そうすると相手も

「まぁ、後で使えるなら、、、」

と気持ちが収まります。

・ 必ずイエスマンにならないといけない
・ けんかはしない、我慢する

それでは相手のこと満たすだけで
自分の満足は満たされません。


・ どう返したら相手が納得してくれるか
・ どう返したら自分の主張を伝えられるか
・ どうしたらこの場が収まるか

それらを考え、
これらの力を身につけていく方がよっぽど大切。

「友達とは仲良く」「喧嘩はしません」
「貸してあげたら?」と、
つい言ってしまうけど、、、

そのモノを持って
その子が満足いくまで使う権利があるはず。

問題そのものから目を背けて
みなかったことなかったことにするのでは
誰かがその負担を負うことになります。

自分も相手も満足できるような
表現の仕方を探したいですね。


時間はかかるし、頭も使う。
でも、
これらを何回も重ねて、
語彙を増やし、自己解決能力を育てていく。

これって大人になっても
必要になってくる力ですよね。

人格形成にもなる大きな能力。
これを一緒に育てていける
大人になりたいです。



まとめです。


・ 「仲良くする」
「すぐ貸してあげる」
「喧嘩はしない」 は社会性ではない

・ 偽りの社会性を育てないようにする

・ 真の社会性を育てるために「個」を満たす

・ 真の社会性に近づけるように「表現方法」を伝える

・ 満たされた「個」 ×  表現方法 = 社会性


わたし達はつい
「友だちとは仲良くできた?」
「貸してあげたら?」
「けんかは悪いこと」

と伝えがちです。

わたしも意識せず生活していたら
これに近いことを言ってしまうと思います。

でも「真の社会性」を目標したときに、
この声かけは目標から
外れてしまう可能性があります。

常にカンペキにはできないかもしれないけど、
その子らしい社会性を育むために
その子にあった声かけをしていきたいですね。

社会性とは一見真逆にありそうな、
「個」を満たすこと。

意識してみてはどうでしょうか^^



この記事は
< モンテッソーリ教師あきえ > さんの
Voicyを参考にしています^^



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