見出し画像

オクラが嫌いだった

ニラ農家だったと以前の記事で書きましたが、オクラも作っていた時期がありました。私が小学生から高校生ごろ。

私がオクラを嫌いなのは、オクラの農作業が嫌いだったから。

春休みには穴が空いた黒マルチのビニールを畝の上に父と2人で張って、両側から土をかける。
私が鍬を持つ手が左利きなのは、右利きの父と畝の両側から一斉に土かけするために鍛えられたのでは?と後から思ったほど。

その後、1つの穴に3粒だか4粒だかずつ種まきをする。これがしゃがんでやる仕事だし、とにかく畝がいくつもあるのでいつ終わるのかわからない果てしない時間が嫌で嫌でたまらなかった。

夏休みは収穫真っ盛り。
手伝える時は毎朝、畑に行きオクラを取る。
毎日取ってるのに毎日大きくなり、時々ドデカオクラが取れる。
あーあ、昨日取り損ねたんだと嫌になる。

毎日毎日果てしなく続くオクラ取り。
私が黙々とやる単調作業が嫌いなのはこのせいかも。

そして、小さなトゲが痛い。
私は収穫だけでそうでもなかったが、母の指はひどかった。
母は収穫には来なかったけど、一日中袋にオクラを10本づつ詰める作業を家でしていた。

手袋をせずにやってたのかよくおぼえてないけど、とにかく母の指先は薄くなってて、何かするとすぐに血が噴き出ていた。

その指先が痛々しくて、なんでオクラを作るんだろうとオクラが嫌いで、食べるのも好きになれなかった。

だからオクラを食べるようになったのは大人になってからだったと思う。
家でも食卓にあまり出てこなかったから父も母もあんまり好きでなかったのかも。

父はその当時農薬を使って消毒をしていたせいか、もしくは単なるオクラのヒゲのせいかわからないけど、オクラをやめて何十年にもなるのに背中が痒いと風呂上がりに薬を塗っていた。
それはオクラのせいだと言っていた。

今でもこの地域はオクラ栽培が盛んで、隣の人は日が登ると収穫に出ていてその音で目が覚める。痛くないのかなぁ。。

オクラを食べる時はその時の母の指先をつい、思い出してしまいます。
ふと思うのは、ちょうど私が私立中高校に行ったり姉が音大行ったりして教育費が大変だったから、しんどくてもオクラやってたのかなぁ。。

とにかく、オクラを作らなくなってほっとしたことを覚えています。
きゅうりやナスも小さなトゲがありますよね。
みんな痛さと戦ってるのかな。

いいなと思ったら応援しよう!