優しさ、とは。
最近、というかコロナ禍という言葉を耳にするようになってから、チクチクとした感情が心を支配するときがある。
きっとずっと私の心の中にあって、でも、他の感情の陰で身を潜めていた感情。ここへきて、増す存在感。
俺の時代が来た!!!とばかりに、日々押し寄せてくる。
困る。
電車でマスクをしていない人を見ては、どうしてマスクをしてくれないの。
ニュースで危機感のない人を見ては、どうしてそんなに呑気なの。
列に並ぶ時の間隔を無視して必要以上に詰め寄ってくる人を前に、咳払いをしてしまったり。
一緒にいる時間の多くなった家族の言動に、いちいち反応しすぎてしまったり。
ああ、こういう時に本性って現れるんだなと、改めて思っている。
そんな中、優しい気持ちで日々過ごしたいと思って、優しさについて考えてみた。
今回は、誰かと誰かの間に生まれる優しさっていうより、自分の心の中にある優しさの話(私の感性はねじ曲がっているので、ハテナ?となるかもしれないけど)。
優しさって言葉は、きっと負の感情・表現よりも後に生まれたんじゃないかなって思う。
意地悪された後、辛かった時、ふと誰かにもらった言葉や何かにジーンときて、それが優しさなんだと。
そんな時に心に生まれた温かい気持ちが優しさなんだと、いつか誰かが気づいた。
それが優しさだった。
そんな背景を、勝手ながら想像している。
暗闇の中の光。
雨上がりの後の虹。
優しさもきっと。
優しさも、きっと。
だからきっと、意地悪されたことのない人に、本当の優しさはわからない。
どん底にいるような、そんな気持ちをしたことのない人に、きっと本当の優しさはわからないんだと思う。
(人それぞれ、どん底の深さは違う。
失恋でも、失業でも、大切な人たちを一度に亡くしたとしても、それがその人にとって心を痛めたことなのなら。
他者に「たったそれくらいで・・・」などどいう言葉を言う権利はない。
どんな出来事がどん底なのかは、自分だけが決められること。
自分の人生の主人公は自分だけなんだから。)
あれ、結局人と人との間に生まれる優しさの話になったかな?
考えはいつだって取り留めなく、そして変化し続ける。
伝えたいこともたくさんある。
なかなか難しい、note。
でもとても、楽しい。
このコロナ禍を経て、きっといろんな人が優しさを知るんだと思う。
私も、もっともっと優しさを知る。
そしてきっと、与えられる側になれる。
そう願って。
だからみんな、生きてて。
ね。
頑張れとは言わない。
この時代に生きてるだけで、十分。
ね。
おやすみなさい。
夏木詞