「“あいみょん”と言葉の技巧」⑥
第五章 あいみょん特有の技巧
前章の終わりで、私は「あいみょんの存在は稀少である」と述べた。この章では、具体的にどのように稀少なのか説明する。そのために、他のJ-POPのアーティストの歌詞を、二つ紹介したい。
一つ目は、 櫻坂46の『五月雨よ』という曲である。
五月雨よ 教えてくれ
曇り空に叫んでた
止むつもりか 止まないのか
先のことはわからないまま
五月雨式に好きになってく
(櫻坂46 『五月雨よ』)
この楽曲は、行方の分からない恋をしている語り手が、自分達の恋模様を、いつ降り止むか分からない雨空に仮託して語る、という内容の歌である。この楽曲の中では、「相手に告白することができないために恋の行方が分からない状態が続いているが、それでも相手に惹かれていってしまう」という内容の事柄を、「五月雨式」に好きになっていく、と表現している。この「五月雨式」という言葉は一つの比喩であり、「言葉の技巧」の一種であると言える。
もう一曲見てみよう。次は、“Saucy Dog”の『シンデレラボーイ』という曲である。
シンデレラボーイ 0時を回って
腕の中であたしを泣かせないで
気づかないふりをしてそのまま
つけるタバコが大嫌い
(Saucy Dog 『シンデレラボーイ』)
この『シンデレラボーイ』という曲は、女性が語り手となっている。彼女には、恋人がいるのだが、その男性が浮気をしてしまったという事件が、この曲が扱う題材である。語り手は、浮気がバレた途端に自分に対して冷たい態度を取る恋人のことを、「シンデレラボーイ」と名付けている。これは、男性を、0時を過ぎた途端に魔法が解けてしまうシンデレラに喩えているのである。この歌詞でもやはり、「言葉の技巧」が用いられていると言えるだろう。
さて、ここからは、あいみょんの歌詞について、見てみよう。あいみょんは確かに、彼女特有の技巧を生み出そうと試みている。そのことを、彼女の作品の中から二つの例を挙げることによって証明したい。
あいみょん特有の技巧の中で、最も優れているのは、彼女が作詞作曲をした“DISH//”の『猫』の歌詞である。
猫になったんだよな 君は
いつかフラッと現れてくれ
何気ない毎日を君色に染めておくれよ
(DISH// 『猫』)
これは、付き合っていた恋人の女性にふられ、別れてしまった男性が語り手となっている作品である。この男性は、別れた彼女のことを「君」と呼びかけ、「猫になったんだよな/君は/いつかフラッと現れてくれ」と心の中で語りかけているのである。
この歌詞のストーリーは、圧巻であると思う。なぜなら、ここでは、語り手が、自分が彼女にふられたという現実を受け止めきれずに、「猫になったんだよな」という考えに縋ることで現実逃避をする、その虚しさや切なさが表現されているからだ。
ここで、もし、「恋人が猫になったかもしれないなんて、ひねった発想で面白いな」という感想を抱いている人がいたら、その人はこの歌詞の価値を全く分かっていないと言える。ただ単にひねった表現を追究しているだけならば、彼女が犬になったとでも、鳥になったとでも、いくらでも工夫することができる。しかし、猫は自由に家を出入りする習性があるため、もし彼女が猫になったとすれば、語り手は、彼女がいつか帰ってくるのではないかという淡い期待を抱くことができる。そのため、この楽曲の歌詞に相応しい動物は、まさしく猫以外はあり得ないのである。
このように、失恋という出来事やそれによって感じるやるせなさを、「言葉の技巧」を使って表現するという点は、他のJ-POPとそれほど変わらない手法であると言えるかもしれない。しかし、他の歌詞、例えば先に挙げた『五月雨よ』や『シンデレラボーイ』の技巧が、J-POPの作詞においてよく用いられる手法であるのに対し、あいみょん作詞の『猫』の技巧は、完全に独自路線を行っていると言えるだろう。
『五月雨よ』には、「行方の分からない恋はまるで“五月雨”のようだ」という発想があり、『シンデレラボーイ』には、「浮気がバレた男はまるで“シンデレラ”のようだ」という発想が窺える。だから、これらでは比喩が用いられていると言える。しかし、これらにおいてはその一種類しか、技巧は使われていない。
それに対して、『猫』では、二つの手法が用いられている。その内の一つ目は、「ある事象を、別の事柄によって代表させる」という方法である。語り手の元の恋人は、実際には別れたいから別れたのに、語り手自身はそれを、「彼女は戻って来たいけれど戻って来れないんだ、そしていつか戻ってくるかもしれない」と考えたがっているのである。「戻ってきたいけれど戻って来れない、そして戻ってくる可能性もある」という状況を代表させる事柄として、語り手は、「彼女は猫になったんだ」という事柄を挙げている。このような事象をこの事柄で表すというのは、意外性と絶妙さを併せ持っている、皆が唸ってしまう表現である。
二つ目の手法は、「直接的には書いていない事柄によって、作品の核心部分を表現する」という方法である。「彼女が猫になる」という状況は、現実にはあり得ない。そのため、この語り手の願いは、虚しい希望であるのだ。そのことは、はっきりとは書かれていないが、誰でも常識的に分かるようになっている。
このように、『猫』においては、二種類の「言葉の技巧」が一つの発想の中に含まれていて、あいみょんがここで合わせ技を繰り出していることが分かる。これは、一種類の技巧しか用いない、他のJ-POPの歌詞とは異なっていると言える。
さて、『猫』についてはここまでにして、次の例を取り上げたい。二つ目の例は、あいみょんの『チカ』である。
A.P.C. の黒い財布
なくしてしまって海へダイブ
嘘を見破ってよダーリン
現実逃避の小旅行
(あいみょん 『チカ』)
という歌い出しで始まる『チカ』。この楽曲の歌詞のストーリーを纏めると、以下のようになる。
すなわち、「語り手の女性は、『自分の財布を失くしてしまったからそれを探しに行く』ということを自分の恋人に知らせて出かけた。しかし、実はそれは嘘だった。財布を失くしたことは事実であるが、彼女はそれを探しに行くのではなく、恋人の男性が自分を引き止めてくれるか試すために出かけたのである。というのも、恋人は普段、語り手に冷たく振る舞い、語り手が、二人の関係性に問題があることを泣きながら訴えても、笑って取り合ってくれないほどであった。語り手は、自分が真剣に別れを考えているのだということを彼に示すために、『財布を探す』というメモ書きのみを残し、明らかに財布を探すのにかかるよりも長い時間を使って、小旅行に出ることにした。彼女は、そこで彼が引き止めてくれるかどうかで、交際を続けるか否かを決めるという、一種の賭けをしていたのである」というものだ。
このようなストーリーが、『チカ』の歌詞の内容である(「チカ」というのはおそらく、語り手である女性の名前であると思われる)。私がこの歌詞の中で特に注目するのは、冒頭の「A.P.C. の黒い財布/なくしてしまって海へダイブ」という部分である。これは、語り手がメモに書き残した文章、すなわち、彼女が恋人についた“嘘”の中身として、作中で提示される内容である。しかし、どう考えても、語り手が本当に、「A.P.C. の黒い財布 なくしてしまって海へダイブ」とメモに書いたとは思えない。実際に書き残した文言は、例えば、「A.P.C.の黒い財布を失くしてしまったので、○○に探しに行きます」というようなものであったと考えられる。しかし、このような現実的な言葉の羅列を歌詞の中で展開しても、全く面白くないだろう。それに第一、ここでは語り手が嘘を書いた、という事実が曲を聴く人に伝われば良いので、探しに行くのが職場であろうが、地下鉄の駅であろうが、それをくどくどと具体的に設定する必要はない。そこであいみょんは、その部分を思いっきり詩的な表現の方へと振ることにした。「A.P.C. の黒い財布/なくしてしまって海へダイブ」と。
このように、「海へダイブ」とすることによって、「語り手が書いた内容を歌詞の中でそのまま再現する」という、野暮ったさにも繋がってしまう手法を、回避することができる。それに、歌詞の中の、他の数行の末尾にある「財布」、「内部」、「だいぶ」、「ライフ」、「ナイフ」という語と韻を踏む効果も上げることができるのである。何より、「海へダイブ」の方が、「職場に行きます」よりも、美しいイメージを我々に提示してくれる。
以上のように、ここでは、歌詞の中に展開する現実(「○○に探しに行きます」というメモ)と、実際の歌詞で描き出す事柄(「海へダイブ」という歌詞)を、わざとずらすという、高度なテクニックが用いられている。これは、現実的な事柄を、詩的なイメージで置き換えるという、一種の「言葉の技巧」であると言える。この技巧も、他のアーティストの歌詞には見られない、あいみょん独自のものである。
さて、ここまで二つの例を見てきて、あいみょんの歌詞の中で用いられている手法は、あくまでも言葉の装飾にすぎないが、その技巧は彼女独自のものであると言える。