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豊かな生き方 —岸田衿子の詩「アランブラ宮の壁の」について—

 今回は、詩人・岸田衿子の「アランブラ宮の壁の」という詩について見ていきます。


   アランブラ宮の壁の 岸田衿子

  アランブラ宮の壁の
  いりくんだつるくさのように
  わたしは迷うことが好きだ
  出口から入って入り口をさがすことも


 まず、「アランブラ宮」とは、南スペインにあるアルハンブラ宮殿のことであり、この詩は、現地の人の呼び方に従って「アランブラ」という言い方をしているそうです。
 さて、この詩の語り手は、一見、ただの「あまのじゃく」のように見えます。何しろ、普通の人が、入り口から入って、迷わずに出口へと向かうことを好むのに対し、この人は、

   わたしは迷うことが好きだ
   出口から入って入り口をさがすことも

 と主張しているのですから。普通の人は好まないような、「迷うこと」や、「出口から入って入り口をさがすこと」を、「好きだ」、と言う語り手。このような主張をする、一見、ひねくれているように見えるこの人物に対して、私たちは、一体どのような態度を取れば良いのでしょうか。 
 それについて探るために、まず、語り手の主張を深く分析してみましょう。
 語り手の、「迷うこと」や「出口から入って入り口をさがすこと」が「好きだ」、という主張について、よく考えてみると、この人物の特徴は、“正しいと決められていることの正反対のことを好む”というところにあるのだと分かります。「出口から入って入り口をさがす」のが好き、というのは、「入り口から出口へ」という正当なルートが、まず前提としてあって、その上で、それをひっくり返したものが好き、という意味だと分かります。また、「迷うこと」が好き、というのも、「迷わないでスムーズに行くことが良いこと」という前提があって、その上で、あえてその反対を好む、という姿勢を取っています。
 このように、語り手の主張をよく分析すると、この人は、決して、「人が言っていることの反対を唱える」だけの、単なる「あまのじゃく」ではないことが分かります。なぜなら、この人物が反発しているのは、あくまでも既製の「決まり」に対してであり、既製の「決まり」をきちんと守るのが好きな人々に対して反発しているわけではないからです。
 では、この人はなぜ、既製の「決まり」に従うことを、好まないのでしょうか。それについては、既に作られた「決まり」に従って生きるということは、世の中を存分に味わえないことだと知っているからではないでしょうか。
 例えば、既製の「決まり」が一つあったら、そこからはみ出す方法は、その何倍もあります。その、何倍もある方法を全て切り捨てて、たった一つの道を選ばなければいけないということ。それは、世の中に存在している豊かなものを、ほとんど切り捨てているような生き方ではないでしょうか。
 語り手は、ただ一人、そのことに気づいている。そのような語り手の姿は、一見、ただ変わっているだけのように見えますが、実は、豊かな生き方をしている人物なのだと言えます。却って、既製の「決まり」に従って生きている私たちの方が、貧しい生き方をしていると言えるでしょう。この詩の語り手に対して、どのような態度を取ればよいのか、という問題には、「この人物の思考を面白がり、そこにある豊かさに気づく、そんな態度を取れば良い」と答えたいと思います。

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