「“あいみょん”と言葉の技巧」④
第三章 問題提起を支柱とする作品群
さて、この章では少し趣向を変えて、あいみょんの楽曲の中でも、歌詞を通して人々に問題提起をしている作品について取り上げていきたい。
例えば、『生きていたんだよな』という楽曲が、その具体例として挙げられる。
「今ある命を精一杯生きなさい」なんて
綺麗事だな。
精一杯勇気を振り絞って彼女は空を飛んだ
鳥になって 雲をつかんで
風になって 遥遠くへ
希望を抱いて飛んだ
(あいみょん 『生きていたんだよな』)
この『生きていたんだよな』という楽曲は、飛び降り自殺をした人のニュースをテレビで聴いた語り手が、自殺者の立場に共感するという内容の歌である。その語り手の主張は、自殺という行為を肯定するところまで展開するのだが、語り手の姿勢を、他ならぬあいみょん自身の姿勢と捉えることもできるようになっているため、この歌は非常にセンセーショナルな内容の作品であるとも言える。
だが、「自殺は是か非か」という問題は、実は正しい答えというものが存在しない問いである。なぜなら、どのような倫理を基盤にして考えるのかによって、正解が変わってしまうからである。逆に考えれば、自殺を肯定する立場と否定する立場、どちらを取っても正解であるとも言える。
しかし、現実の社会は決して自殺を肯定してはいない。「自殺を奨励するような歌は唄ってはいけないだろう」という反応をする人が、世の中には少なからずいる。そこまでいかないとしても、この曲を聴いて、何だかモヤモヤした気持ちになる人は多くいるだろう。そこにあえて、それとは反対の意見を投じることによって、社会に小さな波紋を呼び起こすというのが、あいみょんの狙っているところではないかと私は考える。
だが、「実は自殺は悪いことではないのではないか」という問題には正解というものが存在しないため、その問題から抜け出すような、真に意義のある問題設定をすることが必要であると考える。
ここで、次の曲に行きたい。次に引用するのは、やはりセンセーショナルな内容の『貴方解剖純愛歌〜死ね〜』である。
あなたの両腕を切り落として
私の腰に巻き付ければ
あなたはもう二度と
他の女を抱けないわ
(あいみょん 『貴方解剖純愛歌〜死ね〜』)
この曲は、語り手の女性が、愛する男性を自分の物にしたいがために、彼の身体を解剖していく(もしくは解剖したいと考える)という衝撃的な内容の歌である。この作品の問題提起は、「一見えげつないものに感じられる、語り手の『彼を殺してしまいたい』という欲望は、逆から考えると、実は世界一純粋な愛の形であるのではないか」というものである。この問題提起自体、私はよく理解できる。しかし、私はこれを、そんなに面白いとは思わない。なぜなら、倒錯した愛というものは、文学の世界ではよく登場するテーマであるため、特に目新しいとは感じられないからだ。
ともあれ、これらの二つの例のように、あいみょんの歌詞の中には、「言葉の技巧」ではなく一つの問題提起によって成り立っている作品も多くある。