【小説】ぼくのともだち2
ある日の放課後のことだった。朝から空をおおっていた雨雲はとうとう雨を降らし始めた。
「今日は雨が降るから傘を持っていきなさい」とお母さんに言われて持ってきていたぼくは、お気に入りの黄色い傘を差して家までの帰り道を歩く。
すると同じ学校の友達が後からぼくを追いかけてきた。ぼくがひとりでいる時にかぎって、ぼくをからかいに来るAだ。
「カッコわりぃ傘。その傘、おれに貸せよ。もっとカッコ良くしてやる」
Aは傘を持って来ていなかったらしく、雨に濡れて前髪から滴を垂らしている。ぼくは「いやだよ」と言った。この傘を貸してしまったらぼくがズブ濡れになってしまう。
「貸せったら!」
「やめてよ!」
「貸せ!」
「あっ」
ぼくとその友達は傘の取り合いをして、とうとう無理やり取り上げられた傘は勢いをつけて地面にぶつかり、はりが折れて壊れてしまった。
「壊れた」
ぼくがそうつぶやくと、友達はばつが悪そうに奪った傘をぼくに放り投げる。
「な、なんだよ。そんな安物の傘、壊れたって別にいいだろ! 見ろよ、さっきよりカッコ良くなった!」
「ひどい!」
お気に入りの傘だったのに。
ぼくは壊れた傘を拾い上げると、くやしさと、かなしさで胸が苦しくなった。傘を壊したAは逃げるようにして走り去っていく。
ぼくは折れたはりを何度か元に戻そうとした。けれども余計にはりは折れ曲がり、もう完全に直すことはできなくなった。
雨にぬれながら壊れてしまった傘を引きずって、とぼとぼと家に向かって歩き始める。ぼくは重苦しい気持ちになって泣きそうになった。
お母さんが買ってくれた傘。安物かどうかなんて知らない。お母さんがぼくに選んで買ってくれた傘だったのに壊れてしまった。どうしよう。お母さんになんて言えばいいんだろう。せっかく買ってくれたのに、どうしよう。
「どうしたんだい?」
家に辿り着いた時、隣りの神社から彼が姿を現していた。彼の姿を見たぼくはほっとしたのか、急に泣き出してしまった。慌てる彼。ぼくは何があったのかを彼に話して、家に入る前に神社へ立ち寄った。
「その子、壊すつもりはなかったんだろうけど、ひどいこと言うね」
「お母さん、きっとがっかりする」
「元気出しなよ。お母さんも話を聞いたらわかってくれるさ」
「・・・うん、でもお気に入りだったのに壊れちゃった。きみにも良い傘だねって言ってもらったのに、大事にしようと思ってたのに」
「くやしいの?」
ぼくはうなづく。すると彼はぼくの手をにぎり、やさしく笑った。
「きみは良い子だね。人の気持ちを考えることも、自分の気持ちを伝えることも、簡単に見えてむずかしいことだよ。おれはきみの友達になることができて本当にうれしい」
「なに、急に」
泣きやんだぼくが顔を上げると、彼はふふっと意味ありげに笑う。
「だから、きみにだけおれのひみつを教えてあげる」
「ひみつ?」
「うん。おれはね、物に化けることができるんだ。この傘がこわれて寂しいって言うのなら、おれがこの傘になるよ」
にわかに彼はまじめな顔つきになると、両手を合わせて何か呪文のようなものを唱え始めた。そして一度だけぼくと目を合わせ、にやりと笑い、ぼくが一度まばたきをした瞬間、突然傘になったんだ。
ぼくは目をうたがった。ぼくの傘。いや、ぼくのこわれた傘はそこにある。それとは別に、ぼくの傘にそっくりな黄色い傘が目の前にあった。
「え、どういうこと・・・?」
『ほら、おれを持って家に帰れよ』
どこからか彼の声がする。ぼくはあたりを見回し、彼の姿を探した。
『なにやってんだ、傘だよ。君の目の前にあるこわれてないほうの黄色い傘。それがおれ』
「うそ・・・どうして」
『うそでもなんでもいいだろ? 早く帰らないとお母さん、心配するぞ』
「う、うん」
ひとまずぼくはその傘をつかんで立ち上がった。
『ああ、ちょっとまって。傘だけどおれだからな、大切にしてくれよ』
聞こえてくる声はなんだか楽しそうだが、ぼくは緊張していた。よくわからないけれど、ぼくのともだちは傘になった。
その日からぼくはその傘を片時も離さないようになった。学校に行く時も、帰る時も、晩ごはんを食べる時も、夜ねる時も。当たり前だ。この傘はぼくのともだちなのだから、またこわれたり、こわされたりしたら困る。
お母さんは「大事にしてくれるのはうれしいけれど、そんなに持ち歩かなくてもいいのよ」と言って笑った。ぼくはその時、胸の前で強く傘を握ってへんな笑顔をして見せた。この傘は同じ見た目だけど、お母さんが買ってくれた傘じゃない。こわれた傘は今も神社に置きっぱなしだ。うそをついた時みたいに、ぼくのむねはちくりと痛んだ。
今日もぼくは晴れているのに学校に傘を持っていった。教室までの階段を昇りながら、ぼくはトイレに行きたくなった。いつもは家のトイレで済まして来るのに、今日の朝ごはんはたまたまパンで、パンの時に決まって飲むオレンジジュースをぼくはたぶん飲み過ぎたんだ。
「ねぇ」
『なんだい?』
「きみはおしっこしたくならないの?」
『は? 傘がしょんべんするかよ。なんだ、トイレかい?』
「う、うん」
『先に教室に行って荷物置いてから行けよ。おれを持ったままだと邪魔だろ?』
ぼくはうなづいて教室に行くと、自分の席でランドセルと傘を置き、トイレに向かった。
教室に戻るとぼくは自分の席を見るなり青ざめた。傘がない。びっくりして、ひとりであわてた。ランドセルは机の上に置いたままになっているのに、傘だけがなかった。ここに置いたはずなのに、どうしてないんだ。机の周りと教室中を探したけれどぼくの黄色い傘は見つからない。
「ぼくの! ぼくの傘知らない?」
ぼくはがまんできなくなってクラスメイトに聞いて回った。ぼくのとなりの席の女子が「Aくんが持ってたよ」と言った。聞くと「傘は外の傘置きに置かなきゃいけないよな」と言って持ち去ったらしい。
ぼくの中でいらいらする気持ちと、どうしようという不安な気持ちがふつふつとわきあがる。Aはぼくの傘をこわした子だ。何が楽しいのかいつもぼくをからかっておもしろがっている。ぼくはなにもおもしろくない。知らんぷりすると、叩いたりけったりしてきてぼくは何度か泣かされたことがあった。そのAがぼくの傘を持っていった。またこわされるわけにはいかないのに。
Aは教室の中にいない。ぼくはいそいで教室を出た。廊下にもいない。運動場を見ると、ぼくの傘を振り回しながら走っているAがいた。ぼくは走って運動場へ向かう。
「Aくん! その傘、ぼくのなんだから返して!」
「え? 違うよ。おまえの傘じゃないよ」
Aはにやにやと意地悪な笑い方をしてぼくを見ている。
「だってぼくの傘なくなったもん! Aくんが持っていくところ、女子が見てたよ!」
ぼくは返してほしい気持ちだけでいっぱいだった。
「ねぇ返して! このまえみたいにこわされたら困るんだ! だってそれはぼくの」
そう言いかけた時、Aは傘の持ち手のところをぼくに見せた。ぼくは目をみひらいて、言葉を失った。そこにはAの名前がペンで書かれていたからだ。
「ほらな! おまえの傘じゃないだろ? なんだよ、おれのこと、どろぼうみたいに言いやがって」
「でも、だけど」
「これは! おれのなの! おれの傘なの!」
Aが運動場の真ん中で大きな声を出すものだから、周りにいるみんながこっちを向いている。ちがうんだ。その傘はぜったいぼくの傘なんだ。
「だけど、Aくんの傘は黄色じゃなかったよね。やっぱりその傘、ぼくのじゃないの?」
「だったら証拠みせろよ! おれは証拠あるぜ、ここにおれの名前が書いてある!」
「そ、んな」
「自分の持ち物には名前を書きましょう」って、確かに先生はそう言うけれど、その傘はぼくのものだ。自分の持ち物じゃなくても名前を書いたら自分のものになってしまうのだろうか。
こんなことになるなら、いくら傘になったって言ってもともだちに名前を書くなんておかしいよね、なんて思わずに名前を書いておけばよかった。
ぼくはだまりこんでしまった。書かれた名前以上の証拠が思いつかない。こんな時にかぎって、ともだちはなにも話してくれない。どうして。ぼくの傘なのに、ぼくのともだちなのに。
「ぼくの、なのに」
ぼくはからだの横でぎゅっとこぶしを握ると、ぽろぽろとこぼれおちるなみだをこらえきれずに落としてしまった。地面に染みこんでいくぼくのなみだ。まるで雨みたい。だけど今雨がふったら差す傘がなくてぼくはきっとびしょ濡れだ。ぼくの傘は、ぼくのともだちは取られてしまって、ぼくの力だけではもうどうしようもない。
チャイムが鳴った。
Aは勝ちほこったような顔をして傘を振り回しながら教室へ戻る。ぼくは泣きながら重い足取りで校舎へ向かった。こんなに雲一つない青空なのに、ぼくの心は大雨洪水警報が出ているみたいだった。
つづく