まずは子宮体がんの手術を受ける。その3
令和3年3月12日午後1時過ぎ、手術室へ。
夫と長男が病院に来てくれて、手術室までの少しの距離を一緒に移動する。
そしていよいよ手術室へ。まずは手前の広い部屋で本人確認とたぶん注意事項を聞き、手術室へ。そこもとても広かった。じろじろ見るまもなく台の上へ。左腕に麻酔をするので横に。右腕も横に広げたように思う。
麻酔をする点滴の針をさし、ほどなく意識が遠退いた。
目が覚めたのは手術が終わり手術室をでて家族がまつ待合室の前に運ばれた時。夫の声が聞こえて
『リンパには転移してないし、内臓も綺麗だって‼️』
と言われ少し目を明け、ほっとしながら頷いて少し手を上げるのが精一杯。
コロナで家族と言えども病室に入れないので、ここでお別れ。
まだ酸素がついていて、左腕に点滴、足には血行を良くするマッサージ機器にようなもの、尿管がついている状態。まだ枕をしてはいけないのか、頭はフラット。段々痛みも強くなりだすし、麻酔の後遺症の吐き気も出てきた
お腹の痛みは帝王切開時と同じくらいで想定内だったのだが、
背中と腰が尋常じゃなく痛い😭
看護師さんによって言うことが2つに割れていた。ひとつは病院ベッドが固いから。もうひとつが普段睡眠以外に横にならないひとがずっと寝るから。というもの。両方当てはまると思われた。
それから、ふくらはぎについている、マッサージ機器のようなもの、圧で定期的にふくらはぎを揉んでくれるのだが、ふくはぎは非常にリラックスできて良いのだが、ふくはぎの血が上に上がってきてお腹にくると、
傷口が余計に痛い😵 天国(ふくはぎ)と地獄(傷口)
体に色々ついているし、お腹が痛いのでか体の向きを変えることも難しく。次の痛み止が打てるまでじっと我慢の子。
この日ほど長い夜はなかった
一睡もできず外が明るくなってきて少しほっとし、酸素が外れ、ふくらはぎの機械がはずれ、尿管がはずれ、点滴だけになると起き上がって動くように言われた。
このベッドからの起き上がりに、介護の勉強が役にたった。実践の勉強で必ず出てくるシチュエーションに、
[ 片麻痺の利用者さんをベッドから車イスに移乗する ]
というのがある。起き上がりから車イスまで、利用者さんの残存能力を使ってもらい、介助者の体にも負担がいかにように効率良く移乗する。私の場合はお腹に力を入れると痛いのと、左腕に点滴があるので、右手でさくを握り、まずできるだけベッドの縁に移動し、膝を立て、腰を支点にして、足をベッドの下に下ろすと同時に右腕に力を入れて上半身を起こした。自分で自分を誉めてあげたいくらい、お腹に負担がいくことなくすんなり座位の姿勢が取れた。が姿勢良くとまではいかず、ここからの立ち上がりも、まずはベッドに浅く座り直し、足を引き、前屈みになりながらゆっくり立ち上がった。やっててよかった介護職。立ち上がった後はお腹がいたくてへっぴり腰になりながら点滴下げるものを杖がわりにゆっくりトイレに行った。
その他の後遺症では吐き気もそこそこあったが吐くことはなく、ただ食べれるようになっても続き、2食ほど食べられなかった。
傷口や背中と腰の痛みは日が薬で3日ほどで随分と楽になった。個室には3日ほど居られてその後は四人部屋へ移動して、合計11日の入院となった。
先生は何事もなければ10日で退院と言われたが、土曜日でみな仕事だったので、日曜日まで居させてもらった。