がん告知を受けての【受容のプロセス】私の場合
今日のお昼は「うなぎ」を食べてきた。これで来週の抗がん剤治療ものりきれそう。あまり贅沢もできないけれど我慢は禁物。
令和3年2月24日にがん告知を受けたものの、まだ悪性か良性か?転移の有無、段階?なにもわからないまま病院を後に。
家に帰って検査が痛かったのと気持ちも痛かったので横になっていた。先に仕事から帰ってきた長男に
「かぁちゃん、がんって言われた」と泣きながら報告。泣いていたので長男の反応はわからず。すぅ~と自室に引っ込んだ。
続いて帰ってきた夫に報告。この時は先に泣いたので涙もなく報告したように思う。夫は見た目は冷静に聞いてくれたので助かった。
そして結婚して独立している次男にはLINEで報告した。翌日時間が空いたときに電話をくれた。この次男は自衛隊からの消防士で、若いけど私より人生経験豊富というか、学生時代の部活から人間関係でかなり揉まれているのと、今そばにいないということもあるのか、一緒にいる夫や長男に言えない本音が出た。
「もし骨にまで転移していたら、治療は断って最後まで家にいたいと思う」
コロナで面会もしてもらえない、たった一人での治療には耐えられない、と。
良くわかる。けど僕としては治療して少しでも長く生きてもらいたい。まだ早いよね。
と言われた。ちょっと頑張ろうかと思った。
キューブラーロス 死の受容過程
というのを介護士の勉強で習った。キュープラーロス以外にもそれを唱えた方はいるのだけれど、この人しか覚えていない。
第一段階=否認(自分が死ぬということは嘘ではないかと疑う段階)
第二段階=怒り(なぜ、自分が死ななければならないのかという怒りを周囲に向ける段階)
第三段階=取引(何とか死なずにすむように取引をしようと試みる段階、何かにすがろうという心理状態。)
第四段階=抑うつ(何にもできなくなる段階)
第五段階=受容(最終的に自分が死に行くことを受け入れる段階である。)
死の受容プロセスなので、死の所を「がん」に置き換える、特に第一段階と第二段階。
24日告知を受けたときにはまだ、良性かもしれないっていう望みがあった。が検査結果がでて悪性とわかり、転移もありでその望みも断たれ,子宮がんもわかり、目の前に死の恐怖が訪れた。
が、第一段階の「否認」、自分ががんであるということはうそにちがいない、というのはすぐに克服した。これだけがんの人が多い中、自分もなってもおかしくないよねと思えた。
第二段階の「怒り」これもなかった。自覚症状がありながら病院に行かなかった自分が悪いので。
第三段階の「取引」これは「神様なんでもしますから助けてください」的な事だが、この気持ちにもならず。なぜだかわからないが。
第四段階の「抑うつ」何もできなくなる、というのが仕事の引継ぎ等で物理的に無理な状態だったのだが、ふとひとりになるとわぁ~と涙が出てくる。そして今の何気ない平和な日常がなくなってしまうという恐怖に押しつぶされそうになった。
医療に対して無知だったので、次入院したらもう家に帰ってくることはないだろうと思っていた。家族に色々なことを伝えないと、と思っていたのだが、その前に仕事の引継ぎが先だと思い、それで気が迄れたのが幸いで余計なことを考える時間が短くて済んだ。
乳がんの検査結果が分かり、子宮がんの検査結果は「ステージ1」で子宮全摘出になると言われたが、先生から
「下の方は助かるから!!」
と言われ、ほっと胸をなでおろす。そしてまずは子宮全摘出の手術をしてから、乳がんの抗がん剤治療に入ると言われる。
乳がんの方の主治医から骨までは転移していないと言われ少しほっとし、抗がん剤治療の説明を受けたときに驚愕する!
「日帰りで治療できるけどどうする?」
目からうろこ!?もう家に帰ってこられないかもと思っていたので、日帰りって?家に帰れるんですか?・・・なんて無知な患者。
そこで勇気を出して聞いてみた。
「私、ここ1年くらいで死ぬんですかね?」
先生、笑いをこらえて、「それは大丈夫と思うよ、抗がん剤の予定が終わってまだ手術ができないようであれば、また考えるから」と。とりあえず半年は生きてられるし家にいられると、霧が晴れたように目の前が明るくなった
第5段階の「受容」がんを受け入れるっていうよりは、まだもう少し生きていられるっていう感じ。自分でも単純だと思う。
そして子宮全摘出の手術を受けるために3月11日に入院する。
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