自己紹介
notoを始めるにあたって、自己紹介を書いていたら全然入らなくて・・・こうしてまた書いております。
まぁ簡単に書くと、千葉の小さな町「津田沼」で、お好み焼き・もんじゃのお店をはじめて25年が経とうとしているのです。
そんな僕・・・おっさんは、元々はサラリーマンやってました。
会社が潰れるかもしれないと言い出して、「こりゃ〜退職金が出る前に、離れた方がいい!」と考えたのが28歳の時。
じゃぁ次の仕事はどうする?
と考えたら、憧れの人が「もんじゃ屋」をやってて、飲食店なら毎日酒が飲めるだろうと単純に考え、飲食の道に入ろうと思いました。
でもね、それまで料理なんてまるでダメで、どうしようかと悩んで、料理教室みたいな所に行って、昼は学校いって、夜は師匠の店で修行したんです。
この時期が一番動いてましたよ。
満員電車で学校に行って、夕方まで勉強して、夕方から修行。実はこの時バイトじゃないので無給です(笑)
終電で帰って、ヘトヘトで寝て、また朝に学校に向かう…
無給は辛かった・・・ただこの時実家だったので、飯代はないし、金使うところはない・・・お店作る資金ぐらいだったので、退職金と、日曜日に日払いのバイトをして、よく動いてました。
空いてる時間に、お店の場所を探して、津田沼に決まりました。
学校も修行もほぼ1年おこない、3月にあの「サリン事件」がおこりました・・・ちなみにサラリーマンの時に通っていた、電車でした。あの衝撃はなんとも言えないです。
お店が正式に決まり、お店を開く時「アメリカン」なお店にしようと思ってました。
20歳の頃に、師匠とLAに初の海外旅行!衝撃受けました!だって、初の旅行はツアーじゃなくて、個人旅行ですので、乗務員もいませんでした(笑)
チケットもレンタカーも、ホテルもレストランも全部自分たち!
ある意味面白かった!
そして「ホテルカルフォルニア」の舞台の「ビバリーヒルズホテル」に行って、少しだけ中を見せてもらって、ピンクのホテルの写真を撮ってきて、この色でお店にしてくださいとなったのです。。。
長いね。
そして1995年の5月28日(日曜)日本ダービーは「タヤスツヨシ」が勝った時に、お店はオープンしました。
あれから25年ですか・・・早いです。
人生なんて、山あり谷ありです。
本当にこの25年間は凄い事が沢山ありました。
テレビドラマ以上の事も沢山ありました。
それは全然書けません…
まぁ性格上、あまり過去気にしません(笑)
反省も少ないので、同じ過ち繰り返します(笑)
それでも前向きに進むのが、一番だと
思っているからです。
現在コロナで、飲食店は大変です。
25年の営業で一番大変な時です。
1ヶ月後どうなってるかもわからないけど
26年、30年も目指しております。
よろしくお願いします。
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