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2023年読んでよかった本まとめ【甲南読書会の学生4人が選ぶ今年の1冊】

2023年2月から活動を始めた甲南読書会。
今回は読書会メンバーかつ雑誌『回遊』第2号編集部の学生に、2023年に読んでよかった本を聞いてみました。


「マティルダのイングランド」『聖母の贈り物』

読んだ人:文芸学専攻修士課程1年/『回遊』第2号編集長
選んだ本:ウィリアム・トレヴァー,栩木伸明訳,2007,「マティルダのイングランド」『聖母の贈り物』国書刊行会.

 アイルランドの作家・ウィリアム・トレヴァーの名前を知っている人は何人いるのだろう。少なくとも、僕は知らなかった。だけど、知り合いの勧めから読んでみると、とても面白い。作者紹介の欄には、「現代最高の短編作家」と書いてあったが、これに偽りはないと思った。そんなトレヴァーの作品なかでも、一番面白かったのが「マティルダのイングランド」だ。だから、この物語を紹介しようと思う。

「マティルダのイングランド」は、「テニスコート」「サマーハウス」「客間」の3つの短編から構成されている中編小説である。マティルダと兄・ディック、姉ベティーの3人は、近隣に住む81歳のミセス・アッシュバートンによくお茶をごちそうになっていた。そんなある日、ミセス・アッシュバートンの提案によって、テニスパーティを開催することになる。テニスパーティには街の人たちの多くが訪れ、大盛況ののちに終わる。しかし、牧歌的な日常はその後すぐに第二次世界大戦がはじまりとともに崩れてしまう。「戦争になったら冷酷になるのが自然なのよ」というミセス・アッシュバートンの言葉を反芻しながら、マティルダは戦争前・中・後の現実を生きていく。

 この物語の良いところをいくつか挙げてみよう。この作品は、48歳になったマティルダの回想形式の語りであるが、「テニスコート」では9歳のマティルダの視点、「サマーハウス」では12歳ごろのマティルダの視点、「客間」では21、22歳のマティルダの視点に限定されて、物語が語られる。それぞれの年代に応じた理解力で語られ、視野が完全に統制されているのだ。過去(9・12・21歳)のマティルダの理解と現在(48歳)のマティルダの理解の一致や齟齬が、マティルダの人物像を効果的に伝え、物語にアイロニーを生み出しているのである。

 次に挙げたいのは、マティルダの認識の転換によって、牧歌的な雰囲気が無慈悲で残酷な現実へと一変してしまう描き方だ。例えば、マティルダたちがミセス・アッシュバートンのことを「かわいそう」だと思って交流していたのが、実は「お菓子欲しさ」に交流していたのだと判明する箇所や、ディックやジョー、アーサー、グレッグらとテニスパーティを楽しんだ後で、戦争の訪れによって、マティルダの彼らへの態度が瞬時に変わる箇所などは、見事である。ハンマーで殴られた衝撃を伴って、認知が逆転するのだから。

 そして、この物語に欠かせないのは戦争の影だ。戦地での死闘の様子は一切語られない。その点では、『この世界の片隅に』のようであるが、第一次世界大戦以後と、第二次世界大戦以後の二つの戦後を描いている点で異なっている。戦争の破壊の後とその復興の様子を描くことによって、戦争で得た資金による復興というグロテスクな現実が立ち現れてくるのだ。

 要するに、「マティルダのイングランド」は、細部まで濃密に作り上げられており、それゆえに、中編小説であるにもかかわらず、長編小説のような読みごたえがある作品なのだ。

「マティルダのイングランド」は『聖母の贈り物』という短編集に収録されている。自分で読むだけでなく、贈り物として誰かに贈るのも良いかもしれない。


https://www.kokusho.co.jp/np/isbn/9784336048165「国書刊行会|聖母の贈り物」


『蒸気駆動の男-朝鮮王朝スチームパンク年代記』

読んだ人:社会学専攻修士課程2年
選んだ本:キムイファン・パクエジン・パクハル・イソヨン・チョンミョンソプ,吉良佳奈江訳,2023,『蒸気駆動の男-朝鮮王朝スチームパンク年代記』早川書房.

 私はSF小説が大好きで、科学によって永遠の生が得られるなら、本を読む機能だけを保持した状態で生き続けたいとさえ思っている。ただ、SFと一口に言っても多種多様なジャンルに細分化される。その一つが「スチームパンク」である。「スチームパンク」というのは、蒸気機関、つまり蒸気の持つエネルギーを機械的仕事に変換する機関が発達した世界線を指す言葉である。私たちの生きる現実では、蒸気機関は衰退した仕組みであってほとんど用いられていない。今のこの世界には、蒸気機関に代わる上位互換の新たな変換装置が生み出されたからである。そのうえで、「スチームパンク」の世界は、「ありえたかもしれない未来(あるいは過去、現在)」を描くものといえる。

 本作は、1392年に開かれ、そして最後の朝鮮統一王朝となった李氏王朝の500年間が描かれている。李氏王朝という「本当の現実世界にあった話」の中に「スチームパンク」が加わることで現実と虚構の境界が揺れ動き、読者はその狭間に落とされる。実在した歴史上の人物と架空の存在-蒸気機関で動く「汽機人(ききじん)」-が入り乱れ、5人の作家による”スチームパンク朝鮮”が異なる目線から次々と現前する。ある時は強力な身分格差社会で最下層にあった子どもの目から、ある時は口伝として、ある時は政治闘争渦中に潜む汽機人によって。

 SFの魅力はやはり、私たちの「未来」が見えることである。「過去」を描く歴史改変SFも、私たちに「未来」を示唆する。ありえたかもしれない過去は数多くあっても、私たちの世界はたった1つである。そしてありうる数多くの未来から1つずつ未来を選択する。ありえたかもしれない過去を夢想することは、センス・オブ・ワンダーの快楽を伴って未来の選択に影響を及ぼす。歴史改変SFは「過去」でありながら「未来」を含んでいるのである。

『蒸気駆動の男』は新☆ハヤカワ・SF・シリーズの5060番である。新☆ハヤカワ・SF・シリーズ、と聞くと耳慣れないかもしれないが、ハヤカワ・ポケット・ミステリ(通称ポケミス)同様に縦18.4cm、横10.6cmの細長い独特のサイズの中に文字が二段で組まれ、ビニールカバーがかかった、あの感じである。1974年に終わってしまったハヤカワ・SF・シリーズの復活版である本シリーズはあの頃と変わらぬ銀色の背表紙が輝き、黄味を帯びた紙の小口には手塗りの茶色の彩色が施されている。それほどページ数も多くない本作はコートのポケットに入れておくのにピッタリだった。


『〈悪の凡庸さ〉を問い直す』

読んだ人:日本文学専攻3回生
選んだ本:田野大輔・小野寺拓也編著,香月恵里・百木漠・三浦隆宏・矢野久美子著,2023,『〈悪の凡庸さ〉を問い直す』大月書店.

 世界に衝撃を与えたアイヒマン裁判において、ハンナ・アーレントは『エルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告』の中で「悪の凡庸さ」という表現を用いた。時代が進むにつれて、この「悪の凡庸さ」という言葉は様々な解釈がなされるようになるが、その中でも特に「アイヒマンは組織における歯車として命令に従っただけである」という見方が流布している。しかし、近年のナチズム研究において、このような捉え方では「悪の凡庸さ」という概念を表せないことを前提に、本書は「悪の凡庸さ」におけるアーレントの本当に表現したかったことは何なのかについて再検討したものである。
 歴史研究者と思想研究者がそれぞれの立場から主張する「悪の凡庸さ」の概念は、読み手である私たちに複数の視点を提示する。私は本書の後半部分で展開される、研究者たちの討論が非常に興味深いと感じた。特に、「〈悪の凡庸さ〉という言葉が、一人ひとりは凡庸な人間だから悪くないんだという歴史修正主義的な意味合いを込めて使われるケース」(p.184)についての見方は、情報化社会を生きる私たちにとって他人事ではない身近な問題であり、歴史を学ぶ必要性を再認識するきっかけにもなると考えた。


「みどりいせき」

読んだ人:心理学専攻2回生
選んだ本:大田ステファニー歓人,2023,「みどりいせき」『すばる』集英社.45 (11):10-121

 僕がはじめて大田ステファニー観人さんを知ったのは、たまたま見つけたX(旧ツイッター)の投稿だった。その投稿では、すばる文学賞を獲ったステファニーさんの受賞の言葉が紹介されていた。それが衝撃的な内容で、正直ふざけているのかなと思った。でも、それと同時にこの人はどんな小説を書くのだろうという興味が強烈に湧いてきて、すぐに図書館に駆け込み「みどりいせき」を読んだ。

 最初の一文目から衝撃的だった。あのふざけているとしか思えなかった受賞の言葉と小説の文体がほぼ変わらない。ほかの人も言っているように、若者言葉で書かれる独特な口語体とよく分からないスラングのせいでとにかく読みづらい。「えでぃぼー」とか「しびでぃー」とか、知らないドラッグの名前がなんの説明もなしに出てくる。

 はじめは知らない単語が出てくるたびにいちいち立ち止まり、意味を調べながら読んでいった。でも、途中からそのようなことがバカバカしくなってきて、わからない言葉が出てきても止まらず、スピード感を意識して読み進めていくと、文章から心地よいグルーヴのようなものが生じた。そして不思議と最後まで読めてしまった。ステファニーさんは、「フリージャズのような方法でしか小説を書けない」ということをインタビューで話していたが、まさにジャズのようなグルーヴを「みどりいせき」からは感じる。そういえば、寺山修司は『あゝ荒野』のあとがきで「モダンジャズの手法でこの小説を書いた」と言っていたのを思い出した。ちょっと書き方が似てるのかも。若者言葉特有の語感の良さや、ユーモアあふれる言葉遊びがグルーヴ感に影響しているのかもしれない。単行本が発売されたら、家で声に出して読んでみたいなと思うような文章だった。あと、はじめてオーディブル版も買いたいと思った。電車の中で聞いたら笑っちゃいそう。

 審査員を務めた金原ひとみさんは、「なんか面白いもの書けちゃった。そんなノリで送ってください」と言っていたが、「みどりいせき」を読んでいると小説ってこんな自由でいいんだと思った。僕自身、正直内容は消化しきれていない部分も多いけど、読み終わったあとは清々しい気持ちになった。ステファニーさんの次作もとても楽しみです!

おわりに

4人の学生がそれぞれ選んだ、2023年に読んだ一作。
2024年の読書体験もまた、豊かなものになることを願って。


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