本当に偉い時に「えらい」は使えない 25/02/06

 ズバリ!書くことがないわよ。

 規格外の重ね着を覚えたので2日連続でランニングに行った。えらい。

 「偉い」と「えらい」で明確に違う気がする。というか日本語全体にそもそも平仮名にして訓読みを”開く”ことで知能が下がり、対象精神年齢が低下し、柔らかい印象を持たせることができるのは自明だが。それでも例えば「つよい」「よわい」「かしこい」に比べて単に柔らかくなっただけではないニュアンスの違いがある気がする。

 思うに本当に偉い時に「えらい」は使えない。ひらがなにおける若干のおままごと感というか、軟弱さというか、本気で言っていない感じがそうさせるのだと思う。言わばジェネリック偉いである。
 いや、ジェネリック医薬品はほとんど本物と同様に使えてしまうので、偽偉いだろうか。ニセエラ。(101匹ワンちゃんの悪役?)
 他人に対して「えらい」と言う時も同様で、形式上褒めて欲しい時や全部理解ってやっている時に「えらい」は使われる。「えらい」はベタメタシュールを一周した後の、そういう便宜上のものなのかもしれない。

 これを外国人に説明する時、どう説明すると伝わるんだろうか。まず漢字って言うのがあって~。それをわざわざ使わないことで、えっとぉ~。ベリジャパニズムズカシ。
 でも現象としては「フォントが違う」くらいの体験かもしれない。字が違うということは、要は見栄えが違うのだ。創英角ポップ体の「えらい」が一番アホだね。

 よし、ある程度書いたぞっ。(文字数に困ってた松井ケムリ?)

 たぶんいいことなのだが、課題にそれなりに集中して取り組んで走って帰ってきてご飯食べて寝る支度をしたら1日が終わっている。1日が早すぎる。
 ジムに通う社会人は時間の捻出を無理やりにしていると見たことがあるが、別に「わざわざジムに行く」というだけで労働条件がどうであっても時間は潰れるのではなかろうか。
 ありがたいことに、暇だと思う頻度が減ったと思う。ただ、毎日変わり映えしないなと思う頻度は変わらない。ジム通いのパラドクス。(どこもパラドクスじゃない)(適当に喋んな)(ある一時を境に「適当に喋んな」ってツッコむ漫才師増えなかった?)(カッコ内で喋んな)(あと「喋る」であってる?)(ある一時を境に急に増えたから「適当に喋んな」アレルギーになるかと思った)(花粉と同じシステムだ)(眠くなりにくい薬を出してもらおう)(何人かいる?)(適当に喋んな)

 ↑読みにくい。

 めちゃめちゃ遅くから書き始めてしまった。書けなかった理由は明日の今日の日記で明かされることになる……。(とても寝ていただけ)(「明日の今日の日記」も「とても寝ていた」もなんか気になる言い方だ)

 一旦やめさせてもらいます。(オズワルド伊藤の言い方だ)(こんなツッコミはイヤだ)(日記でセルフツッコミする時のカッコを多用している)(カッコの中で大喜利が始まりそして終わっている)

こなまるでした。

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粉奈丸
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