20歳の誕生日にもらったプレゼント
今日は成人の日。
ということで、私が20歳の誕生日の時、親からもらったプレゼントの話について書こうと思う。
私の誕生日は12月。
クリスマスも近かったこともあり、誕生日プレゼントという形で親からもらった記憶はほとんどない。
もしかすると、何かもらってたのかもしれないけど、心に残るほど嬉しかった記憶のものはない。
貧乏とかではなく、一般的な家庭である。
ただ、自分の欲しいものや食べたいものなど、子供のリクエストがほとんど通らない家庭だった。
それでも、私のなかで20歳という誕生日は特別なものだった。
当時、私より先に誕生日を迎えていた友達のmixiには、親からもらったプレゼントの写真がアップされていた。
20歳という節目もあるせいか、大人になった今の私でも手に届かないような高級ブランドのキーホルダーだった。
こんなにいいプレゼントは無理でも、うちも何かお祝いしてくれるだろう。
そんな期待をもって、12月を過ごしていた。
当時下宿をしていたため、定期的に仕送りを送ってもらっており、その12月も段ボールが送られてきた。
そこには、お菓子やレトルト食品と一緒に、Afternoon Teaと書かれた小さなプレゼントの包みが。
「私の誕生日のために準備してくれたんだ!」
クリスマスの朝にプレゼントを見つけた子供みたいに嬉しかった。
20歳をお祝いしてくれた母親からの気持ちが嬉しかった。
紅茶とかクッキーかな。
そんな期待を膨らませながら袋を開けてみると、中にはシャンプーとリンスのミニボトルが2つ。
食べ物以外のものも売ってるんだと思いながら、送ってくれたことが嬉しくてプレゼントを見つめていると、そのボトルにはどこかで見覚えのあるホテルの名前が。
このホテルって、たしかGW に家族で泊まったホテル...。
どういうことだろう?
初めはわからず、Afternoon Teaにそのホテルの商品が売られているのかな、と考えることにした。
仕送り届いたよと伝えるために、すぐに母親に電話。
「プレゼントありがとう!袋がAfternoon Teaだけど、中って前泊まったホテルのシャンプーだよね?ホテルの商品も扱ってるってこと?」
「ううん、泊まった時にホテルのアメニティが可愛かったから、もらって帰ってきてたの。それで家にAfternoon Teaの袋もあったから、ちょうどいいかなって思って。」
その時、なんて言葉を返したか記憶にないけれど、すごくショックだった。
ものが嫌だったとかそういうことではない。
自分の誕生日のために、お店に行って選んでくれた、というその気持ちが嬉しくて喜んでいたはずなのに、私のために選んでくれたものではなかったのだ。
家にあるちょうどいいもので済まされた...。
そう思ったと同時に、私ってそれぐらいの存在なんだなとも思った。
一生一度の20歳の誕生日だったのに...。
500円のプレゼントでも喜ぶ自信はあったのに、使わないからあげるみたいなテンションで渡されたような気がして落ち込んだ。
多分、この先も一生忘れることのない記憶だと思う。
社会人になった今、母親がなぜか誕生日にハンドクリームとかマフラーをプレゼントしてくれるのだけど、母親からプレゼントをもらう度に20歳の当時の記憶が思い出されて、心から喜べなくなった。
その出来事から、大切な人にはちゃんと誕生日プレゼントを用意してあげたい、ちゃんとお祝いをしてあげたい。
そう思うようになった。
昔なら、周りの友達が家族からどんなものをプレゼントされてるかなんて、ほとんど知る機会はなかったと思う。
せいぜい小学生の時に味わう、私が持っていないゲーム機をあの子は持ってる、と比べるぐらいだと思う。
でも、SNS で他の人の暮らしがよく分かるようになってからは、良くも悪くも自分との暮らしの差がはっきりして、なんだか周りと自分を比べることが多くなったような気がする。
比べることで落ち込むのは精神的によくない気がするけど、新しい考え方や暮らしに触れて、20歳の自分のように「こんなふうに人を喜ばせてあげたい」っていう新しい景色を見ることができるなら、他の人の暮らしを見ることもいいような気がする。
来月は、20歳になるいとこの誕生日。
成人おめでとう!のいっぱいの気持ちをこめて、私がしてほしかったように、喜んでもらえるようなプレゼントを送ってあげたい。