濁流では生きない
うちには暖炉がある。絵本に出てくるようなレンガのものではないけれど、ガスや電気代がますます高騰している近頃では、冬にこの暖炉が大活躍する。
アパートのみんなで共同で薪を買っていて、自動的に管理者が庭の薪置き場に補充してくれるので、その薪を自分の階まで運んで火を起こすのだ。
火というのは不思議だ。
見てるとぼーっとできるし暖かいし心が休まる。燃え終わるとただ灰になる。
1日が終わって帰宅後、火を起こして燃え終わるまでにその日にあった嫌なことも心の中で火にくべる。
時には人には言えない罵詈雑言を紙に書いて薪と一緒に燃やす。
少しスッキリする。
歳を重ねて多くの経験をすればするほど嬉しいことも悲しいことももちろん増える。
一つだけ覚悟したいのは、もし嫌なことがあってもその負の濁流に沿ってはいけないということ。だから争ったり躱したり知らないふりでもして、なんでもいいからそのせいで自分を変えなくていいってこと。他人とのコミュニケーション(仕事でもプライベートでも)の中で、何かうまくいかないことがあると、どうしても今のままではダメだからもっと自分が変わるべきだと思いがちだし、いろんなところでそう言われがちだが、本当にそうなのか?と疑問を呈したい。
負のものを持っているときは、確かに手放した方がいいかもしれない。しかし自分では短所に見えても本当は長所な部分もあるし、その短所で全体のバランスを取ってることもあるし、その自分を受け入れていくことを大事にした方がいいのではないだろうか。
何も変わらなくていい。日々自分の心に従って生きていけばいい。
各国法律などのルールやマナーはあるけれど、これだけ多様化したいろんな国、いろんな言語、文化、民族、宗教が混在している世界でより心地よく自分らしく生きるなら、小さなことでも自分の信念に従って進んでいくしかない、と改めて、火に胸の内をくべながら心に小さく誓う。