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浜松市有楽街の肝吸い


#元気をもらったあの食事

 ずいぶん前のことなので、まったく記憶があやふやではありますが、「元気をもらったあの食事」というテーマを見たら「これしかない!」という思い出があります。

 30代になったばかりの頃、浜松市に引っ越して2年目の夏だと思います。
 私はなぜか猛烈に死にかけていました。
 人生初……でもないのですが、ハタチ過ぎの頃に体験した急性B型肝炎(入院して完治)の発露となった、激烈な夏風邪のような、とんでもない悪寒と発熱と吐き戻しによる体力低下が再来したのです。原因はすっかり忘れています。
 仕事を休み病院で受診して一般的な風邪薬を処方されたと思います。自宅に戻ったものの階段を下りて買い物に行く元気もなく、心配して電話をくれた近場の知人に差し入れをもらって、2~3日休んでいたと思います。

 その休みの最終日の朝、知人から電話がありました。
「浜松のウナギで精をつけよう。まだ食べたことないでしょ? おごるよ」
 間髪入れずに「行く」と返事をしました。
 ところが体力はあまり戻っていなかったようです。着替えるのも、TシャツとGパンで精いっぱいでした。
 知人が出してくれた車に乗り「有楽街のけっこう昔からやっているうなぎ屋さん」に連れて行ってもらいました。
 有楽街の駐車場からは徒歩なのですが、真夏の昼下がりの陽光はきびしく、面白いくらいにヘロヘロな歩みで知人の後ろをついていきました。
 知人は手を貸そうとしてくれたのに、私が「自力で歩ける!」と意地を張っていたみたいですが、最終的には介助してもらってたどり着いたようです。いやホントに記憶があやふやすぎます。

 知人オススメの「うな丼と肝吸いのセット」を注文してもらって、食事が出てくる間も何を話していたのかもすっかり忘れています。
 お店の引き戸を開けてすぐのテーブル席の奥側に私が座ったことは、覚えています。
 空調の代わりに表の引き戸を開けっぱなしにした間口から日差しの照り返しで真っ白に輝いている表通りの地面と、それを縁取る引き戸や店内の調度の黒い影のコントラストが強烈でした。
「ここの肝吸いは、ちゃんと店で作ってるからすごく旨いんだよ」
 肝吸いというのは、ウナギの肝で作ったお吸い物のことであるが、このお店では、かば焼きのために捌いたウナギの肝を調理しているので、粉末の肝吸いのもとで作ったものとは味が違うし段違いにうまいのだ、というようなことを強調された覚えはあるけれど、私は30歳にもなって肝吸いという料理自体を口にしたことがありませんでした。
 そんな説明をされるほどの高級食材を贅沢に使ったお吸い物を、お吸い物イコール永〇園の松茸のお吸い物(いやこれもすごい技術で生まれたおいしさの結晶だと思うんですけども)という馬鹿舌が飲んでもいいものだろうか。

 果たして料理が配膳されました。
「無理だったら全部食べなくていいから」と言われましたが、うなぎ丼のご飯を咀嚼するのはちょっと無理ゲーでした。かば焼きの部分をちまちま食べるという贅沢な偏食ぶりを発揮していたら、
「肝吸いだけはちゃんと飲んでおきな」と知人に言われて、お椀を持ち上げました。
 そして一口含みました。
 ―――ほわっ。
 優しいぬくもりの湯気が顔に当たり、松茸のお吸い物とは確かに違う香り。口中に滑り込んだお吸い物の汁の程よい温かさが舌に触れました。
 真夏の暑さで汗をかいてきたはずなのに、うな丼のご飯の温かさも受け付けなかったこの体に、肝吸いの温もりはなぜか「ちょうどよかった」。
 じんわりと舌に広がる塩味をのどの奥に送り、喉元、胃の腑に届いたのを感じました。私の消化器官を通り抜けながら、肝吸いの温かさは体に広がっていきます。
(これが、滋養というものなのか)
 かみしめるような一口目から、二口目、ちょっともったいなくなって、うな丼にお箸をつけてみたら、ご飯がおいしく感じられる!!
 肝吸いを飲みながら、うな丼のご飯とかば焼きもそこから多少食べ進めることができました。うな丼は完食できなかったけれど、肝吸いは全部飲めたし、「体が喜んでる」を実感できた、何日かぶりのおいしいご飯になりました。

 本当にありがたかったですが、この知人への連絡先はこの後何度かの引っ越しの間になくしてしまいました。
 清水さん。あの時は本当にお世話になりました。大変な不義理をしていて申し訳ございません。
 私はしっかり生きております。

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山口小夏
クリエイターだなんておこがましいですが、サポートは常にありがたく頂戴いたします。