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蔵レモを終えて

蔵レモの怒涛の3ヶ月が終わった。
ホッとした。最後、姉妹で参加してくれた子たちを見送ったとき、ようやく学童だけの関係に戻れるんだと思った。寂しいような嬉しいような気持ち。

3ヶ月、楽しい時も、つまらない時も、憤りが生まれる時も、落ち込む時も、うんざりする時も、諦めた時も、嬉しい時も、頑張った時も、いろいろあった。始めたことを後悔した気持ちもあったし、ピッチに立たなければよかったって何度も思った。立たなければこんな大変じゃないし、変わらずISARIBIに入っていたとしても誰かのサポートに回れたし、何より8月は卒論に当てれたのにね。

9月に入ってから、ラストスパートと思っていたし、言われていた。9月16日が最後、やり切るぞという気持ちで臨んだ。

終わってみて、ホッとした。
ああ、もうこのゴールのない活動をすることはないんだ。遅刻をみることもないんだ。卒論に本腰入れられる、やっと!旅にもいける!

でも、悔いもあって、やっぱり問いを立てるのは難しかった。
いまだにできない。
できないことが多すぎる。
問いを立てるだけじゃない。チームビルディング、練り切る・考え切る、安定していること、切り替えること、とか。

蔵レモは楽しい活動のはず、そう思っていたけれど、MTGが楽しいと思ったのは数回だし、楽しいものにしたいけれどできなかった。多分きっと確実にいろんな要因がある。自分にもあるし、蔵レモの活動にもある、はず。自分が「ちゃんとしなきゃ」と、変に深刻になって事務的になりすぎた面があったから。ディスカッションの場をきちんとセッティングできなかったから。定例MTGの設計をがっつりやらなかったから。活動にゴールがなかったから。全部1人じゃないにしろ、自分が背負ってるものだった。これをずっと振り返りたかった。改善策を作りたかった。1週間、2週間じゃ時間がなさすぎたかも。リーダーに向いてなかったし、サーバントリーダーにもなれなかった。申し訳ない。

最終回にして、『問いを立てる』ということに対して、ちょっと気づいたこともあった。
問いは細分化するものである。ということ。
教育実習でも似たことがあった。目標に直結する大きな問いがあって、そこに行き着くまでの小さな問いをたくさん用意する。進むのに必要な補助発問も。ゴールがなくてもできるのかも?と思っていたのは大きな間違いだった。目指す子どもの姿を想像してそこに辿り着くルートをいくつも用意していないといけないんだ。と気づいた。チームなら尚更、その視点がたくさんあるはず。

今は、ポジティブな気持ち。
多分これからは遅刻にイラつくことがないから。遅刻しないかどうかは別として。遅刻にイラつく自分が一番腹立たしいから、そうならなくて済む。
それよりも、また計画を立てて再スタートを切れる。自分の改善点を洗い出してまたやり直せる、それが嬉しいなという気持ち。そして忘れてはいけない、卒論。今までよりも活動ペースが落ちるから、ようやくこれメインの生活。待ってた。

はやくてんてんの誕生日お祝いして、みんなでバリューズカードやって、仲良くなろうね

ちなみに写真に私いない。これどの瞬間切り取ったの?いいボケ感だよね

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