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思い出したら幸せになれる、幸せの象徴を増やしていくんだ


 アジカンの『マジックディスク』というアルバムが好きです。高校一年生のとき、季節は初夏だったかと思いますが、クラスの女の子が窓際でウォークマンで音楽を聴いていました。「何を聴いているの?」と尋ねたら、おずおずと「知らないかもしれないけど、アジカン」と答えました。案の定私は知りませんでしたが、大学生になって行ったフェスで偶然アジカンを見かけて、それから私も好きになりました。
 その時彼女は何の曲を聴いていたのか、どの曲が好きだったのかは、私はもう覚えていません。ただ、その日は爽やかに晴れていて、私たちは夏服で、どこか戸惑った感じに答えた彼女の表情が、ずっと印象に残っているのです。


 大学生の頃、運良くボーカルのゴッチが登壇する著書の出版イベントに行くことができました。うろ覚えで恐縮ですが、ゴッチは『マジックディスク』の1番目に収録されている『新世紀のラブソング』について、「最高の曲になると思った。ソラニンの方がウケるとは思っていなかった」と語りました。

 念のためネットで検索してみるとこんな記事が見つかりました。

 最初に作ったのはイントロのリズムパターンと逆回転のギター、そしてベースラインです。簡単に言うと、歌が入ってくる前のイントロの部分ですね。そこが最初に出来ました。その部分が30秒だったんです。たった30秒の短いトラック。それだけで、もう完全に新しいモードの到来を感じたというか、これは何か凄い曲になるという予感がズシャッと脳ミソに突き刺さってきたのです。

 アジアンカンフー公式+ ゴッチの日記
 全曲解説 新世紀のラブソング 第三回より

 そのエピソードが、そのゴッチの言い草が可笑しくて、それから私は熱心に『新世紀のラブソング』を聴くようになりました。



 当時の時代を映した、具体的で印象的な歌詞が連なる中、私は以下の歌詞が特別に好きになりました。

確かな言葉が見当たらない
言い当てる言葉も見当たらない
それでも僕らは愛と呼んで
不確かな想いを愛と呼んだ

本当のことは誰も知らない
あなたのすべてを僕は知らない
それでも僕らは愛と呼んで
不確かな想いを愛と呼んだんだ

『新世紀のラブソング』より


 大学生の頃は、愛とはつまるところなんなのか、私はまるでわかっていなかったので、この曲での「愛」の捉え方がとても新鮮に映りました。
 その時期は、ただ一人のわかって欲しい人にすら自分をわかってもらうことは難しいことや、自分が人に伝わる言葉を選べないもどしさに悩んでいました。「言い当てる言葉も見当たらない」と無念がり、「あなたのすべてを僕は知らない」と言い切って、表現できるかどうかは関係なく、わかるもわからないもひっくるめて、ただ想う行為を「愛」と表現してくれたゴッチに、私は救われる思いがしたのでした。
 この歌詞は、私の人生において一番最初の「愛」の定義となりました。



 それから何年か経ち、私はかつてほどアジカンを聴かなくなりました。ただふと彼らの存在を思い出すと、もう戻れない高校時代や、フェスで記憶が結びついた時の感動や、繰り返し聴いて自分が楽になっていった感覚が思い出されます。思い出によって生かされていることを思い出します。
 アジカンは私にとって「幸せの象徴」です。時を経てもなお、ひとたびその幸せの詰まった箱を開けると、私のからだは幸せで満たされます。
 ちなみに「幸せの象徴」という言葉は、よしもとばななさんの『デッドエンドの思い出』からきています。こちらもまた、私の大好きな作品です。(作中では「幸福の象徴」と表現されています。)

 人生の目的について、たまに考えます。もしかしたらそんなこと考えなくたって、むしろ考えない方が幸せになるにはいいのかもしれませんが、考えてしまうのだから、仕方がないです。
 最近は私は、人生の目的とは、思い出したら幸せになれる「幸せの象徴」を増やしていくことではないか、と考えています。二度と当時に戻れないとしても、その時偶然にも他者と自分の人生が重なって、一人では起こせない変化が生まれた歴然とした事実は、何度も人を奮い立たせたり、人を休ませたり、人を救ったりするのかなぁと、最近はそんなことを考えて過ごしています。


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