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「あなたを無くしても僕は生きていく」

がむしゃらに生きていて、ふと「あれ、私って別にいらないんじゃね?」となる事がある。

それは風呂に入った後だったり、お昼休みにデッカいあくびをした後だったり、子どもの話にひとしきり笑った後だったり、有名人の訃報を聞いた後だったりする。
「私っていらないよなあ」と言うと、皆驚いた顔をする。その次、心配そうな顔。「そんな事ないよ、大切だよ」の言葉。私、別に何にも悩んでません。寧ろ今、結構楽しい。
多分今何かの魔法で私が世界から消えたとして、素知らぬ顔で朝は来る。夜も来るし昼も来る。周りの人の腹も減るだろうしその人達はいつかデッカいあくびをするだろう。私の事が大好きな人も、私との思い出を抱き締めて生きていくだろう。大嫌いな人だって、ふとした時に私の事を思い出してちょっと苦い顔をするのかも知れない。

私は私の独自性を求めていた。一人でずっと、自分が世界に一つだけの花と言う確信を求めていた。いつか藤くんが言っていた。「あなたを無くしても僕は生きていく」と。あれは66号線だ。藤くんの、別れに対してシビアな部分が大好きだ。この話はまた別の機会に書く。太宰治だって、

君が生前、腰かけたままにやわらかく窪くぼみを持ったクッションが、いつまでも、私の傍に残るだろう。この人影のない冷い椅子は、永遠に、君の椅子として、空席のままに存続する。神も、また、この空席をふさいで呉れることができないのである。

「思案の敗北」太宰治

永久欠番みたいなモンだろうか。背番号、何番の背中なんだろうか。因みに新潮文庫から「もの思う葦」と言う短編集が出ていて、この本に「思案の敗北」が収録されているので是非読んで欲しい。青空文庫でも読めるけど。太宰治の劣等感、人間臭さ、嫉妬心、そう言うの、ほんとに刺さる。

脱線したが、私一人で私は世界に一つだけの花にはなり得なかった。他者に証明されて初めて、私はこの世に実体を持つのだ。透明人間からの脱却。
とはいえこれから知り合う人達も、私が居なくとも生きていく人達だけだ。ご飯をもりもり食べて、笑って生きていく。

私は別に、いらないと思う。ノーヒットノーランの大記録を達成した訳でも、人々を救う発明をした訳でもなく、これからもしないだろう。
それでも私は、私の為にふかふかのクッションを用意してくれた人のところへ腰掛ける。私も大切な人へ、ふかふかのクッションを用意出来る人間でありたい。くぼみに悲しみたくないと、かちかちの床に座らせないように、強く居なきゃな。そうしてスマホを置き、梨の皮をむきながら、にがりきって、思うことには、「こんなのじゃ、仕様がない。」

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