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終わること、変わること
今の気持ちを文章にするのは難しいけれど、何か書いておきたくてパソコンを開いた。
まずは出来事とそのときの心情を整理して、最終的に今の自分が何を考えているのか分かる文章を残せたらいいと思う。
(この文章を書いたのは2月18日 火曜日)
7 MEN 侍 の解体、ジュニアの再編成、3組の新グループ結成を知ったのは、2月16日 日曜日の19時頃だった。
私は18時にバイトを終えて、Twitterを見たりこんなツイートをしたりしていた。
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19時頃、Twitterのタイムラインで「好きになってから○年間ずっと楽しかったよ」というようなツイートを見て、もしかして。と思ったら、3組の新グループ結成の記事が目に入った。
そのあと、メールを確認して、添付されたリンクからファンクラブサイトの動画を見た。
動揺していたので、30分の動画をフルで見るわけはなく、こんぴが喋っているところだけを見た。ただその時は こんぴ金髪に染めたんだ…としか思わなくて、まだこんぴの言葉が頭に入ってきていなかったと思う。
そのあと、ジュニア公式のツイートから新グループのアーティスト写真を見た。
そして、ブログを読んだ。
こんぴのブログは真剣かつさっぱりしていて、こんぴらしい文章だなと思った。
今日からB&ZAIとして活動していくこと、
驚かせてしまって本当にごめんということ、
これからは新しい8人で"夢"を叶えるために走ること、
そして 今まで以上にみんなを必ず幸せに出来るよう精一杯頑張る、これからも俺についてきてください ということなどが書かれていた。
こんぴは 本当にごめん と書いたけれど、その次の行からは これからどういう風に頑張るか、応援よろしくということが端的に書かれていて、最後は絶対幸せになろうということがびっくりマーク付きで書いてあった。
こうなること 想定も覚悟もしていたつもりだったし、こんぴのブログを読んで「そっか、こんぴは前向いてんだ、私も前向くこと頑張るしかないのかな」と思った。
こんぴのブログを読んだ後、侍の誰のブログから読もうか考えたのだけど、考えるより先に嶺亜さんのブログを開いていた。
いつもいつも、侍のファンである痺愛(ひめ)へのでっかい愛を 丁寧に言葉にして伝えてくれていた嶺亜さんのブログを、こうなったことに対する嶺亜さんの言葉を先に読みたかったんだと思う。
嶺亜さんは新グループになったことの報告や挨拶をしたあと、痺愛だけに向けた長い長い文章で、侍と痺愛に対する思いを伝えてくれた。
それを読んで 嶺亜さんがどれだけ侍を大切に思っていたかまたわかったし、自分にとってどれだけ侍が大切だったか思い出された。
「もう二度とこんな思いをさせないように」という言葉を読んだときは、そのとき初めて 侍がもう終わったんだってわかったような気持ちになった。
嶺亜さんのブログには 侍で叶えたかった夢、そして「馬鹿だから本気で全部出来ると思ってた」ということも書いてあった。
私もそう思っていた。
侍なら全部叶えられるって本気で思っていたし、侍と痺愛で一緒に喜び合う光景もたくさん想像していた。
まだ何も信じられないままご飯を食べて、母に解体のことを教えて、ほんとにどうしよう無理なんだけどー😭とか言いながら普通に会話した。
そしてこの日は6時までTwitterを見続けて、風呂に入って7時に寝た。
15時に起きて、身支度をしてバイトに行った。
昨日と同じように普通に起きて身支度をして、普通にバイトしている自分を客観視して泣きそうになった。
侍は昨日なくなって、もうこの世界に侍はないのに、今日も自分が生きていることが苦しかった。
私は 侍がいる世界だったから生きることが楽しいと思えるようになったし、侍がいる世界だから生きたいと心から思っていた。
永遠なんてないと頭ではわかっていたけれど、こんなに早く、こんな形で終わるなんてまだ受け入れられなかった。
バイトから帰って、普通にご飯を食べながら家族の日常会話を聞いていたら、勝手に涙が溢れてきた。もう昨日までのように家族と話す心の余裕がなくて、自分の部屋に籠もった。
今、大好きな侍の映像を見たいし懐古したいけれど、それを見て笑っていた思い出が この辛いときに見返した思い出で上書きされたら嫌で、過去の映像を自分からは見にいくことができない。
ジュニアのYouTubeチャンネルが休止する前後に 過去の好きな回を思い出したり、見返して大笑いしたりしておいて良かった。
次に侍Tubeを見て大笑いできるのがいつになるかまだわからないから。
侍Tubeを見返していたときもそうだったが
ここまで数か月間、解体の噂が流れて、侍としての新規コンテンツが見られなくなっても、グループの括りが曖昧な 解体の伏線のようなコンテンツを提供され続けても、覚悟はしたつもりでも、
心のどこかで「侍はバラバラにならない」と信じていた。その気持ちは最後までずっと消えなかった。
1月に行われたジュニアの合同ライブ SHOWbizも、楽しかったとは言い切れないが
「今回は見られない侍6人でのパフォーマンスは また別の機会に見られる」と信じたい気持ちがあったから、
不穏なポエムやメンバーがシャッフルされていることなどは無視して、かっこいいこんぴやそれぞれ出てくる侍のみんなを見ることを楽しむようにした。
解体発表前日の土曜日、侍が広告をしていたお菓子の会社の社長 かずたかの「どうにかならんものかね。」というツイートを見て、やっと もう本当に覚悟を決めておかなければいけないのかなってハッとした。(あとで 解体を暗示したツイートではなかったことを説明していたけれど)
2月15日 土曜日は、侍のブログ「異担侍日報~侍ふ。~」を今野さんが更新した最後の日だった。
21時に更新された最後のこんふの、気候の話では「久々に暖かくて天気も良かったから気持ちよかったわー」というようなことが書いてあって、今日あったかかったよね!!と思ったのを鮮明に覚えている。
土曜日はお昼に家を出てナイターのスノボをしに行ったのだけど、お昼に外に出たとき、太陽がまぶしくて あったけ~と思ったんだよね。
いつも21時に更新されてすぐ読んでいたけれど、この日はスノボをしていたから、22時過ぎに車の中でこんふを読んだ。
最後の"こんふ"を21時までわくわく待って読むことができなかったのは少し寂しい。
いつも通りこんふを読んだ私は、
いつも通り 来週も楽しみだなーという気分になっていたと思う。
私は来週もこんふがあると当たり前に思ってしまっていたのかもしれないけれど、今週も当たり前みたいにこんふが更新されたことには、当たり前みたいにちゃんと感謝していた。
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私は 2021年4月に侍ふが開設される前、まだ侍にブログがなかった2020年から侍のオタクをやっているから
今野さんが綴る文章を、毎週決まった曜日に読めることへの感謝の気持ちを忘れたことはなかった。
それに、今では毎週添えてくれる自撮りの写真も、開設当初は全然当たり前じゃなかったことを覚えているから、もう当たり前みたいに載っている写真にもいつも ありがとう と思っていた。
これからは"B&ZAIのブログ"として今野さんのブログが更新される。204回目が最終回となったこんふは、もう更新されない。
侍ストーリーから始まり、Samurai_Storyでも
侍ふでもこんぴは木曜日の更新を担当していた。
昨年2月に担当曜日が新しくなり、
3年ほど過ごした「こんぴの曜日」は木曜日から土曜日に変わった。
土曜日の更新に慣れるには少し時間がかかったし(お前が?)短い期間だったけれど、ここ1年は土曜日が私にとって1週間の最後の日みたいな感じで、YouTubeが更新される金曜日と同じくらい楽しみな曜日だった。
最後のこんふが更新された次の日の日曜日もバイトに行くため外に出た。
でもあんなに暖かかった土曜日と違い 曇っていて、風が強くて寒くて、泣きそうになった。
はあ、タイプロ最終回を見て 篠塚のブログ読むの楽しみ〜とか言っている場合じゃなかったなぁ。(篠塚さんtimelesz加入おめでとうございます)
解体が発表された日の夜は、
もう侍6人揃ったライブや舞台を観に行けないのならバイトなんて辞めよう、私がバイトを頑張る意味って何?と一瞬思った。
でも私は今野さんの、どんなときも凛々しく胸を張って進んでいく姿を見せてくれるところが大好きで、尊敬していて
私もそういう風に生きてみようかなと思ってここまで生きてきたし、そんな今野さんを好きでいるうちに自分のことも好きになれた。
だから今ここで感情的にもういいやって投げ出すのは違うかなと思った。
お別れが寂しい。終わってしまうことが辛い。
侍の解体を知ってから初めて涙が出たのは、侍の出演情報をお知らせしてくださっていたinfoさんの、アカウントの運用を終了するというツイートを読んだときだった。
infoさんのツイートは最後まで、素敵なお人柄と言葉、愛に溢れていた。侍のinfoさんがこのinfoさんで良かったなとまた思った。
お別れしなくちゃいけないことが辛かった。
それに、Twitterを見たらもうみんなそれぞれの思いがあって。
おすすめTLでも、よく目にしていたアイコンの人がもう今までみたいに応援することはないと断言していたり、アカウントを消す と言っていたり、思わず悪口を言ったりしていた。
私は 仲良し!みたいな痺愛のお友達はいないけれど、いつも現場やTwitterで一緒に盛り上がっていた知らないみんなのこと、なんでか友達みたいに思っていた気がする。
これからも侍のこと大好きなみんなと一緒に、熱狂的な愛を叫びたかった。
解体したことで、もう絶対応援できないって人もいれば、自担だけは応援してるって人、これからはゆるく見ていこうかな…って人もいるだろうし、前を向いて応援する人もいると思う。
みんな侍を大好きなのは同じだったのに、これからどうするかは本当にそれぞれ違うと思う。それが寂しい。
絶対に絶対に、誰がどんな選択をしても悪くないし、こんなことになった以上 道が分かれるのは当然で、仕方ない。でも寂しい。
侍のファンダムは、他と比べて情熱的に応援している人が多い印象だったから尚更。
(自分もそうだったと思う、だから新グループを侍くらい情熱的に好きになれる自信なんて今はあるわけなくて…)
私はときどき深夜に1人で自分のタイムラインを自分のツイートまみれにするけれど
解体発表の日のタイムラインには、みんなみんな集まっていて(みんな泣いていたが)たくさんのツイートで溢れていて
朝5時になってもまだ眠れずにツイートしている人たちもいて、少しだけ救われた。
侍がテレビやラジオに出るとき、リアタイ勢みんなでハッシュタグを付けたツイートで盛り上げて、トレンドに入れてみんなで喜ぶのも、タグを付けずにタイムラインだけで密かに盛り上がるのも、楽しくて仕方がなかったな。
少クラ放送中の大興奮TLとか、YouTubeアップ後の大笑いTLとかも大好きだった。(少クラに侍が出てこなくてみんなでキレてたときもあった)
かわいい侍、かっこいい侍、おもろい侍、愛しくてたまらない侍を見てみんなで盛り上がることはもうなくなるんだって思うと、どこにもぶつけられない悲しみが込みあげる。
私は 少しでも侍の力になれたら と思って始めたことが沢山あったけれど、それらをずっと続けていたのは侍と痺愛が大好きだったからだと思う。
大好きな侍を想いながらそういうことをするのが心から楽しかったし、侍のことが大好きなみんなと一緒に走っている気がしたのも楽しかった。
2024年の夏は、ステージに立つ7 MEN 侍をとにかくたくさん観に行った。
7.8月は and JOY!東京公演を観るため水道橋に通った。8.9月はand JOY!全国ホールツアーを観に、新幹線に乗って浜松と仙台に行った。
そして9月には、新橋演舞場で6人が主演を務める舞台MASSARAを何度も観に行った。
人生で1番楽しい、最高の夏だった。
でもこれまでのように、侍はきっと
来年も再来年も、その年が1番楽しくて最高だった!って思わせてくれるんだろうな~と思っていた。
これから先も、きっとまた宝物みたいな素晴らしい思い出がたくさんできるから 侍はそういう人たちだから って思っていた。
だから「もうこれ以上の夏はない」じゃなくて、「これからさらに楽しい夏が来るんだ」ってわくわくしていたよ。
侍はいつも今を最高にしてくれて、未来を楽しみだと思わせてくれた。
そんな6人を好きでいられて本当に楽しかった。
侍が終わるということは、たくさんのことが終わる、変わる ということだ。
なんか、3億年ぶりに 生きるの終わらせたいなって少しだけ思ってしまった。侍が終わるのと同時に私も生きるの終われたら、楽だったのかなーって考えてしまった。でもそれはできないなぁ。
こんぴのことを好きでいるの辞められないし、辞めたくない。
事務所がこんな形で7 MEN 侍を終わらせて、
侍も痺愛も今まで通りじゃなくなった。
それでも、こんなことになっても
まだ 今野さんはこの事務所に誇りを持っていて、まだこの場所でアイドルを続けることを選んで、まだ「夢を叶えるために突っ走る」って言った。
何かが終わればたくさんのことが変わるけれど、変わらないものもある。
(本当はこんな状況のことをこんな綺麗な感じで言いたくないが)
私はこんぴのオタクを辞めない。
これからもステージに立つ今野さんを観ること、好きと思うことで幸福を感じたい。
これから先も、今野さんがアイドルとしてかっこよくい続ける限り、私にとっての幸せは 今野さんを好きでいること であってほしい。
だから、侍担として 痺愛として生きた
大切な4年半と 大切な自分を背負って、また今野さんのオタクとして生きていくしかない。
私は この4年半を背負うこと、"思い出"にする ことが、どういうことなのかまだわからない。
嶺亜さんは 傷痕 とも言っていたけれど、
私にとってそれが宝物になるか傷痕になるかは、その時々の自分次第なのかなぁと思う。
侍を好きと思いながら生きた長くて短い時間は、今の私にとっては 青春そのものだ。
「この青春が、一生消せない でっかいタトゥーになればいい」って今は思う。
でも時間はどんどん過ぎていく。
私は侍のライブや舞台にたくさん行ったから知っているんだけど、記憶というのはどうしても薄れていくもので、鮮明に思い出すことは 時間が経てば経つほど難しくなる。
一生全部を忘れないなんてことはきっとできない。
それでも「一生忘れたくない」と思ってしまうくらい大好きで大切な思い出が、もう更新されることがないのは苦しい。苦しくて涙が出る。
今はまだ頭も心も追いつかないが
いつか「美化されても、ほんの少しでも、記憶の中に残っていればいい」と
心から思えるようになったら、それはまた新しい幸せを見つけられた時なのかなって思う。
(だから今はまだ、そんなの見つけたくないよ…とも思ってしまうけれど)
今の私は、全てを"思い出"として胸に抱えて前を向く ことができないし、
新しい方角に背を向けて過去だけを懐かしみ続ける勇気もない。
だから今は、前を向けなくたって前に進んでもいいんじゃないか?という感じで
顔が後ろを振り向いたままでも、下を向いていても、足だけこんぴと一緒に前に進めてみてしまうのはどうかな と思っている。
そういうふうに、とりあえず
侍が いるのにいない 世界を生きてみるつもり。