発達障害日記1206(あなたはダースベイダーを信じない。の話)

・あの、うちのこどもとわたしの感性が全然違うって話を、ダースベイダーにつっこんだ娘に思ったって話

 育ってきた〜環境が〜ちーがうーーーかあらああぁあぁあぁああああ〜
 こんくらい音痴バージョンならJASRACにも大目にみてもらえるだろう。山崎まさよしの『セロリ』でした(言っちゃうのかよ)。
 えっと、この前ね、うちのこどもがどえらいかわいい発言したって話なんだけど、それで自分との違いに衝撃を受けたって話。
 あの、スターウォーズあるじゃないですか。古いやつ、1番古いシリーズ。夫は映画好きなので、時にそういう映画のDVDをいそいそ取り出してきて思い出したように観るんだけど、それを小1の子が後ろから見ていたらしくて。
 で、ダースベイダーがルークのお父さんであることがわかるシーンで、こどもは大爆笑。
 「おとーさんが!!悪いわけないだろ!おかしー!!」
 とのことで。
 全わたしがぷるえ上がりました。「かわいさにぷるぷる震え上がる」を略してぷるえあがりましたよ。
 圧倒的な父への信頼。夫はこの話をニヤニヤしながら言ってきたので、たぶん2、3回ぷるえ死にしてるはずですが。
 いや、それにしても。。自分とはずいぶん違うな、という感想に至るわけです。

・わたしは小さい頃から家が出てみたくてたまらなかった。親はうっすら嫌いだったけど本当に嫌いってわけではない、くらいの愛着のなさ。

 親のことは(今は)好きでも嫌いでもなくて。
 わたしの親も超濃厚なADHDで(診断済み)、かつ、本人の性格も相まって、こどもをかわいがる親ではなかった(もう片親からは普通の対応?を受けたと思う)。
 こども〜青年期は、時代もあって「そんなに親御さんに無関心なのは嫌いだからでしょう?」と言われ、「嫌い」と表明しないと、実家に5年くらい帰らないとか連絡を取るのも数年に一度とかって話を理解してもらえなくて、自分でも「親が嫌いなのかもなあ」と思ってたんだけど、この歳になったらそれも違うなっていうのはぼんやり思ってる。
 好きでも嫌いでもないんだって。親がいわゆる一般的な愛情を向けてこなかったのは事実だけど、破れ鍋に綴じ蓋ってやつで、わたしはそれに嘆き悲しんではいなくて、なんていうか、お互いそういう距離のそういう人間関係だけだってワケ。虐待の種類で言えば正直、消極的ネグレクトに当たる行為(愛情遮断)とも言えたと思うけど、親と話が通じないことに気づいたわたしはさっさと愛情の対象をイエのソトに切り替えた。これはわたしも発達障害であって、他者への関心がとても低いこともあるんだと思うの。
 わたしも出産と育児を経験してるから、そらもうわたし個人を産んで、育ててもらった肉体的、経済的、時間的負担には純粋に感謝してるけど、それ以上の人間的な関わりは無いんだって。で、たぶん、親もそれでいいと思ってるっぽい。その点でわたしとわたしの母は非常に似ていて、逆説的に親近感は持っている。
 あまりこどものことは言いたくないけど、こどもも発達障害がある。特に、小1の子はわたしと同じADHD傾向、祖母と同じADHD傾向であるのに、お父さんが悪いわけがないと笑う。祖母と母が持ち合わせない感情を、孫があたたかく芽生えさせた。

・いつか、こどもは家から出ていってしまうだろうとずっと信じてきたわたしは、ぷるえ上がりながら未来を想像ができない

 小1の子を羨ましいと思ってるわけではなくて。
 わたしはわたしで、「親という存在に愛着がない自分」を悪いとは思ってない。社会的な感謝は無条件の愛情とニコイチになると不幸が訪れる(と、福祉を学ぶわたしは思うわけです)。愛情ってある程度理由のあるものだと思うので、それが湧き上がらないことは別に責められることじゃあない。
 というより祖母から母、子へと受け継がれる発達障害傾向と、個人の性格、そして愛情の芽生えってのはコレ、あんま関係ねえんだなーとものすごく興味深く思ったワケ。

 こどもはいつか、笑いながら家を出てそのまま戻らないものだと思っていた。わたしがそうだったから、そうなるものだと。だからわたしもそのつもりでいたんだけど。
 ここから先はわたしにはちょっとわからない。ぷるえ死にしている夫に意見を聞かなければ。ぷるぷる。


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