『ルポ賃金格差』感想

・差別が作られていく様をまざまざと見せつけられる。


 竹信 三恵子著、ちくま新書、2012年。
 少し古い本なのだけど、まさしく賃金格差の本。10年経って、この本から状況が良くなったとは思えない。
 各章ごとに、高学歴の若者、転職組の部長職、20年越えの長期間貢献者、配偶者ありの前提で非正規に固定される女性、派遣社員などの「賃金格差に晒されている人」を取り上げることで、差別の真意が見えてくる。全6章。

 女性や高卒者、高齢者の賃金差別は言うに及ばないが、京大卒の男性や、外資系で職歴を築いた壮年の男性までもが賃金差別を受けている事例に驚く。
 つまりそれは、女性や高卒、高齢者などの「会社に入る前からある属性」が問題なのではない。会社に入るにあたり割り振られた属性・・・・【中途】【非正規】【(総合職に対しての)一般職】などがその差別の根拠となる。入社時にこれらの属性を割り振られることで、同じ労働をしていても賃金に差をつけられる。
 属性しか根拠のない差、これが差別である。

・非常に細かく、微に入り細に入る差別なのだけど、わたしは障害者なので蚊帳の外。色んな意味で。

 これほどまでに圧倒的で覆せない差別の数々にクラクラする。この本は各当事者に入念にインタビューした本なのだけど、大抵の人が訴訟に踏み切っている(訴訟に踏み切った人を取材している、と言えるかもしれない)。裁判では基本的に差別を認めてもらえない。色んな言い訳で言いくるめられる。

 すっげえなあ、というのが印象。

 なんでこんな他人事のような言い方なのかと言えば、わたしは障害者なのでそもそも同じフィールドに立っていないからだ。

 わたしは就業に配慮が必要になる。厳密に言えば、職種を選んだり裁量を限定すれば配慮は不要(つまり、向いてる仕事でマネージャー権限以下ならば)なんだけど、そうすると貧困ラインから脱することはできない。まともに自立した生活を営む賃金を得たいならどうしたって合理的配慮(合理的調整)が必要になる。また、賃金も本当にうまくいって日本の中央値に届くか届かないか。格差はすでに決まりきっている。

 そしてわたしはそれで全然構わないと思っている。貧困ライン以上になれれば、それ以上儲けたいとは特に思っていない。障害のある身としては、頑張ったら疲れちゃうし日本の中央値の額もらえりゃそれで全然いい。わたしがどれほど素晴らしい仕事をしても中央値でいいし、逆に素晴らしくなくても中央値をよこしなさい(労働者としての主張)。

 が、
 『ルポ賃金格差』に登場する面々はそうじゃない。この人々は、会社が作った新たな差別属性によって差別を受けることになった人たちだ。だから、同じ労働をしている人と同等の額を望む。マネージャーと同等の仕事をしていればその報酬を要求する。差がついているのはおかしいから。すごく正しい。正しいんだけど、わたしは蚊帳の外なのだ。いや、すごく正しいんだけど。わたしに向けた本じゃないだけで。

・みんながんばろーねー(決して笑ってない目で)

 わたしには、年収1000万円とか1500万円とかの世界がよく分からない。
 あった方がいいんだろうか?でも、そこまで使うこともない。毎日牛肉が食べたいわけでもないし、毎週新しい服が欲しいわけでもない。
 なので、中央値・・・今で言えば年収500万円くらいなのだろうか。そんくらいあれば充分なのだ。もちろん、今はもらえてない。今と同じくらいふにゃふにゃ生きながら500万円よこすように。

 なのでぶっちゃけ、いばりたい人や金を湯水のように使わないといられない人は、わたしと同じ仕事をしててもわたしよりいっぱい賃金をもらっても構わないと思ってる。そんな人と個人的に遊ぶことなんかあり得ないし、その人がどう生きようがどうだっていい。わたしの人生に無関係。

 しかし、この『ルポ賃金格差』ではそんな生ぬるい話はしていない。生活するのに困難なレベル・・・主に年収200万を切るレベルの賃金格差に遭っている人にフォーカスしているからだ。別に格差はあっても気にしないけど、食えないなら話は別だし、『ルポ賃金格差』は食えない話をしているので是正が必要であると考える。

 『ルポ賃金格差』は、公然と作られ厚顔にも運用される差別を明らかにした本である。差別は、会社の上の方でピシッとした背広を着てふかふかの椅子に座ってる人らが、頭を捻ってせっせと作り出している。もう少し、新しいちゃんとした価値のためにその頭を使って欲しい。差別を作り出して賃金抑制して生まれた余剰を「利益」としてドヤる人に、イノベーションは起こせない。

いいなと思ったら応援しよう!