スイッチ

茹だるような暑さの中、最寄り駅まで歩く。だいたい15分くらい。刺すような日差しにはまだ耐えられるけど、ジメジメとした嫌な暑さが堪える。ちょっと前まで燕が飛んでいたのになと思いながら信号が赤から青に変わるのを待つ。

制服は決まってる。白のシャツ。半袖でも長袖でもいいけれど、長袖を着ている。半袖の白いシャツにはなぜか抵抗があるから。身体からじんわりと汗が滲む。第一ボタンを開けて、ささやかな抵抗を試みるがほとんど意味がない。

信号が青に変わる。

横断歩道を渡ると少しして、神社が左手に見えてくる。この時期はお祭りの季節。ちょっと強面の男性と、この地域の子ども達が、神輿に乗って太鼓の練習をしている。このクソ暑いのにそれを感じさせないくらい楽しそう。ダンダンダンと力強い音とケラケラとした笑い声。夏の音がする。ただ、最近大きい音が苦手になってきた自分にはやっぱり怖い。ナイフを突き詰められてるみたい。ダンダンダン、ザクザクザク。早足で通り過ぎる。駅が見えてきた。

駅の入り口は3つある。階段、エレベーター、エスカレーター。もちろんエスカレーターを選びたいけれど、少し遠回りになる。エレベーターを使うのは抵抗がある。だから、なんやかんやでいつも階段。長くも短くもない階段を上がり改札を抜ける。目当ての電車が到着する3分前。ホームに着く。

ホームで立ち止まった瞬間に、待ってましたとばかりに汗が吹き出す。顔からも身体からも。
電車を待つこの3分間は果てしなく長い。早く、早く、早く電車が到着しますように。なんの意味もない祈りが真っ青な空に吸い込まれていく。僕の願いに関係なく、電車はいつも、時間通りに目の前につく。ドアが開く。電車に乗ってびっくりする。どこでもドアを通ったのかと思うくらいに別世界。涼しい。

電車に揺られること30分。途中で乗り換えを挟むけど、だいたい座ることができる。窓際が好き。電車から見える景色はいつでも同じはずなのに、季節によって違う姿を見せてくれるから。最近まで汚かった学校のプールが嘘みたいに綺麗になっているし、涼しい時はいつも同じ場所で寝ている、ホームレスのおじさんがいなくなっている。同じようで違う。少しずつ変わって、少しずつ同じになる。

勤務先の最寄駅に着く。だいたい、いつも30分前。かなり余裕をもっている。心配性だから。昔から時間はきっちり守る。友達との約束もほとんど遅れたことがないし。ただ、早く着きすぎてもよくないので、喫煙室でタバコを1本だけ吸う。出勤前の人達で混み合う喫煙室は、なんだか少し居心地が悪い。タバコを吸い終わり、匂いが気になるのでイソップのボディスプレーをふる。会う人みんなに褒められる魔法のスプレー。「いい匂いですね」と言われるのはすごく嬉しい。

さて、いよいよ出勤。

家では一言も喋らないのに「おはようございます」とできるだけ明るく挨拶をする。

家ではほとんど喋らないのに店では饒舌になる。

いったいどこにそんなスイッチがあるのかわからないけれど、ONになるたび安心する。よかった、まだ壊れていない。

これで普通になれる。

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