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過去にひどいことをしてしまった人たちに謝りたい
35歳になって思う。
「もっと人のこと大切にしてれば良かったな...。」と。
心が荒んでいた20代の新卒時代
特に20代の頃。適当に新卒で入った漆黒のブラック企業に勤めていた頃。休日にするのはストレス解消じゃなくてもうただの憂さ晴らしみたいなものだった。
金がないから大学の頃の友人と安い酒を飲む。就職せずフリーターになった同級生を心のどこかで馬鹿にしていた。
女性関係も、気に食わないことがあるとすぐ別れたがったりとろくな人間ではなかった。異性は星の数ほどいる、と心のどこかで思った。
食生活も、運動も、規則正しい暮らしもどうでも良かった。生きることに執着もなかった。
人生の方向転換をする
しかし30歳になり、自分なりに方向転換をした。いまの仕事にも誇りを持てている。
そうすると日に日に人に優しくなれた。
身の回りに関わる人も変わってきた。新卒の頃なんて尊敬できる人なんて1人もいなかったのに。
友人も異性も、僕が生まれてから今まで関わってきた人よりも、ひとまわり優しい人たちだ。
仕事でポカをしたときに塞ぎ込んでいたら電話をくれる同僚であったり、
こんなときは美味しいものでも食べて忘れなよってご飯をご馳走してくれる異性であったり。
例えばこのnoteで関わる人もそうである。
親身に僕の状況を客観的に見て感じたことをコメントをくれる人もいたり、素敵な本を勧めてくれたり。
中には何かあればいつでも相談してくれても良いですよ、とDMをくれたりする人もいる。
僕の後輩くんに対する愛ももはや重いくらいで
「お前後輩とご飯に行ってかっこつけてバカだなぁ。」と言う上司もいるが
僕はもう自分のために何かお金を使いたいとかなくなってくる。むしろ後輩くんのほうが結婚資金やらでお金かかる時期だし。
基本友達や異性にも自分のためにやっていることだから見返りは一切求めない。
もはやこれから関わる人は能力でも容姿でも家柄でもなく、どれだけ人を思いやれる人なのかに尽きるように思う。
そうすると次第に他人にも優しくなれる。若い頃はもう生きててもしょうがないだろ!と思っていたが、この国にこの時代に生まれるのはきわめて良い環境である。
心が荒んでいる人を許せるようになる
ぶつかりおじさんって知ってる?
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駅の構内とかでわざとすれ違いざまに身体をぶつける人。
通勤してるとごく稀にいるんだよ。20代の頃ぶつかられたときは頭に血が登ったが、この前やられたときは僕は1ミリも腹が立たなかった。
この人はもう限界なんだろうと思うのと同時に、あなたもこの時期が早く終わると良いねと思えた。
ぶつかりおじさんを肯定するわけではないけど環境にとことん恵まれなかった人は世の中にごまんといることを忘れてはいけない。
もちろん僕はぶつかりおじさんなんてしないけど、ボロボロになって行きどころを失っている姿は昔の自分を見ているようだ。
異性関係もそう。当時の僕は無駄に相手を不安にさせたり、都合の良い関係を望んだり。
今となって僕は「優しくあろうとすることしか取り柄はないよ。刺激はないよ。駆け引きもしないし退屈かもよ。」と自己紹介をしている。
いまの僕は付き合う前に手を繋ぐくらいが精一杯という不器用さである。笑 そんな中でもそれでも良いと言ってくれる人も世の中いたり。
僕自身周りの関わる人たちからの影響が良かったのか、刺激的というよりは安定感のある関係を望むようになった。
これから出会う人はほんのすこしだけ幸せにしてあげられるんじゃないかな?
何かの物事に対しての前向きな感情を与えることができるかも?とほんのすこしの自信が今の僕にある。
人に冷たくすると自分も冷たくなる
当時はねたまに悪夢を見た。
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女の人に腕を引かれておでこに口紅で文字を書かれて(僕からは見えないから何て書かれたか判らない)
谷底に落とされたら女体だけの屍の道があって、よく見ると光るドアが遠くに見える。そこまで必死に走ったらここから解放されると心のどこかで感じた。
一生懸命走って目が覚めると冷や汗をかいていた耳元で「おはよう」って女の人の声と同時に目が覚めた。それが現実で聞こえた声なのか夢の声なのか。
なんとも不安定な情緒。
とにかく毎日が穏やかじゃなかった。何かに追われるように生きていた。友達より良い会社に入って見返したいだとか、1人でも多くの異性を抱いてやりたいとか。
だけど友達や恋人は心から信頼できる人がいたらそれでいいんだよね。
古くからの友達にも、「あの頃のお前はなんというか、どうかしてたよ(笑)」と言われたり。
自分に余裕がなかった頃に出会った人たちと、もしいま出会えてたらもっと仲良くなれていたかも。
この人は何が好きなんだろう?何をされると嬉しいのか、悲しいのか。誕生日はどんなものが欲しいかな?
恋人として付き合ったときにその人はどういう関係が居心地が良いのか。どう接したら喜んでくれる人なんだろう。
精神面や金銭面にも余裕がある今ならもうちょい同性異性問わず寄り添えたと思う。
ここから僕は脱力して生きる方向で
自分の服装だって良いものを身につけたって自分の価値が上がるわけじゃないから身の丈に合ったものを選ぶ。
ブランド品も車も、お洒落なインテリアが置いてある部屋も。見栄を張る必要もなく、僕は最近まで見えない何かと戦っていたように思う。
この歳になって肩の力が抜けて、こんな僕にも本当の静寂が訪れ始めた。
贖罪というとおおげさだが、自分を信用せず追い詰めてしまっていた自分にも謝りたい。
人と闘う人生も、迎合する人生もある。何かに依存する人もいれば何もかもに無関心な人もいる。いろんな生き方あっていいよね。
みなさんには謝りたい人はいますか?みなさんはこれからどんな風に歳を取りたいですか。