賢者や忠臣はナゼ生きづらいのか。
韓非の料理人に例えた話を考えれば、
まず相手が賢君であれば正論を。愚君であればゴマすりをして信頼を得た後に正論をってことになるけど、現実は愚君に佞臣がゴマすりして賢者を排斥するパターンばかりが目につくのが悲しいところ。
これは、愚君相手だと信頼得た後に正論言っても粛清されるから、結局のところゴマすりイエスマンを続けるしかなくなって自身も害悪化してしまうということなんじゃなかろうかと。成り上がった立場や金、その全てを捨てる覚悟をもって戦うほど気概のある人は、そうそういないからね。
他にも韓非は「巧詐(こうさ)は、拙誠(せつせい)に如かず」とも言っている。
つまり、人を欺いたり言葉巧みに騙して利を得るような生き方をすることは、結局のところ不器用でも誠実に生きることには敵わないという話。
愚君に阿って真の成果や正義、それらを持った者の人生をないがしろにしていることは立場や金を得やすくとも、最終的には愚直に正しく生きようとする人よりも劣る人生しか得られないであろうということ。
ゴマをすろうとイエスマンになろうと、最後まで「何の為に」という大志を忘れずにっていうことなんじゃないかな。
正義感はあるけど不器用でなかなか人生が上手くいかない人でも、ちゃんと理にかなった努力をしていれば、周りに僅かながらも非常に深くて強い絆を持った仲間が出来るよっていうお話。