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航空機事故から学ぶ:fuseを抜いた!?

警報がうるさいのでfuseを抜いてた?:ノースウェスト航空255便 離陸失敗事故
1987年8月16日、米国イリノイ州Detroit空港からアリゾナ州Phenix空港へ向かう予定のNWA255便(MD-80型機)は、乗員5名と乗客149名を乗せて、雨天の中block-outした。季節雇いパイロットの機長と副操縦士は、最終目的地のカリフォルニア州Santa Anna空港まで当日中に到達できるか不安を感じながらの出発であった。
push-backした時点で、離陸滑走路がCharlie経由の予定のRwy 21RからRwy 03Cへ変更となり、二人はイライラしながら経路の確認をやり取りしていた。
20:33にRwy 03Cを離陸開始したが、auto-thrustが作動せず、副操縦士が作動させて機首上げした。離陸後50ftほどの高度で機体が右へ傾き、左翼が照明灯と衝突した後、火を噴きながら高速道路へ突進して墜落。家族4人で搭乗していた4歳女児だけが、座席の下から瀕死の重傷で唯一救出された。
NTSBの調査官らはblackboxを回収し、目撃者への聞き取り調査を進めた。事故機は機首上げ状態で、エンジンから出火していたとの証言を得た。事実事故前に1基は異物吸入で修理されていた経歴があり、残骸が精査されたが、出火もbreak downも認められなかった。左翼が照明塔を切断した時に燃料タンクから出火したため、目撃者が誤解した可能性があった。
当日の天候は、雷雨を伴う前線が通過していて、micro burstが発生しており、事故機がblock-out前にwindshear警報が発出されていた。前後便の乗務員からは、事故機のスラットとフラップが展開されていたとの証言があったが、未展開のため離陸できなかった可能性が残った。離陸重量も検証されたが、最大離陸重量未満で問題なかった。
FDRは損傷が激しく、製造元へ送られて解析されたが、これらが展開されていなかったことがデータから証明された。恐らく離陸直前に離陸滑走路が変更となり、mindnsetが乱れていて、離陸前チェックリストが省略されたと考えられた。
"Flaps"未展開の警報がなかったのは、普段から離陸前滑走中にこの警報が鳴ってうるさいので、事故前から該当するP40回路のfuseが抜かれていた可能性があった。NTSBはnuisance alarmの改善と警報装置の利用徹底を勧告した。

同日中に目的地に到着できるか分からない、雷雨の中離陸しなければならない、離陸直前に使用滑走路が変更となった、機長は季節雇いの乗務員で空港に精通していない等々、うっかりミスが引き起こされる下地が揃っていた中で起こったスイスチーズ・モデルがそのまま事故につながった事例でした。
定期便パイロットにとって定時運航は相当な重圧なので、その中でうっかりミスを重大事故へつなげないような労務上の配慮は、今日でも必要です。
昔は「誘導路走行中にFlapsへ損傷がないよう、離陸直前までFlap展開しないこと!」と指導していた教官が度々いたものです。NW便でもそうだったのかも知れません。Taxi中にFlapsが損傷リスクは極めて少ない訳で、うるさい警報でイライラさせられるより、さっさと離陸時のFlap展開しておく方が、よほど安全であったことかと思われます。

増速のためfuseを抜いた!?:トランスワールド航空841便 錐揉み降下事故
1979年4月4日、米ニューヨーク州JFK空港からミネソタ州Mineapolis空港へ向かっていたTWA841便(B-727型機)は、ミシガン州Saginaw上空で強い向かい風を受けていたので、FL390へ上昇していた。21:47頃、機長、副操縦士、航空機関士は突然240ktで機体がbuffetingし、機体が右へ20°余り傾く異常姿勢に遭遇した。
機長はthrottleをidleへ戻し、副操縦士へspeedブレーキを引くよう命じた。すると機首は下がって機体は錐揉み降下を始めた。540ft/秒で急降下したため、機速は390ktに達して、計器がぶれて見えなくなった。
機長はgear downを指示したところ、機体降下は減速し、rollingも停止して、機体の立て直しに成功した。しかし今度は機首が30°にも上がり、前方に月が見える異常姿勢となったため、今度は機速が160ktまで減速した。FL110で機体はやっと水平飛行に復帰し、機長は操縦可能となったと乗客へアナウンスした。
航空機関士が滑油がなくなっていることに気付き、機長は60NM離れたDetroit空港へdivertすることを決めた。方位160°で飛んでradar vectorして貰いながら、機長は試しにflapを展開してみたところ、機体が左へ傾いた。直ぐにflapを元へ戻して、同機は通常より90ktも早い220ktでDetroit空港へ着陸を試みた。滑走中に右翼端が接地したが態勢を立て直し、逆噴射装置を使って無事に停止させることに成功した。
NTSBは事故機のFDRとCVRを回収し、実地検分を行ったところ、右翼の7番srutが脱落し、アクチュエータが破断していた。flapは20°まで問題なく展開できることを確認した。脱落した7番strutはSaganawの北7SMに落下していたのを発見回収した。破断していたTボルトを解析へ回したところ、金属疲労を起こしていた。
事故機から回収したCVRは、異常が発生した肝心な部分が消去されていた。これは地上で停止中にしか行えない操作と判明した。
当時TWA社の一部の操縦士たちは燃料や時間の節約目的で、巡航中にsrutやflapを上空で展開する未承認の操作を行うことが横行していた。flapを2°展開し、circuit brakerを切ってsrutは展開しないようにして操作するものだった。
CVRの解析では当時の録音が消去されていたが、客室チーフは異常姿勢に入る直前に航空機関士がトイレ休憩でギャレーに出てきて、自分の食事を用意していたを証言した。この経緯から、機長と副操縦士が航空機関士が操縦室を離れた隙に、意図的にこの操作をしていた可能性が浮上した。
機長は連邦議会の公聴会へ召喚され、CVRは日常的にフライト後に消去しており、未承認の操作をした覚えはないと証言した。
FDRの解析では、機速が240ktから440ktへ速まった際に垂直速度がさざ波状に波動するG traceという特異な飛行状態が記録されており、FL390に上昇して30秒後にVSIがガクンと下がって機体の振動が始まったことが確認された。
NTSB調査官らは、このG traceの発生を実機で実証するため、flapとsrutを色々な条件で展開して検証を試みた。9番目に計画していたflap2°でsrut2, 3, 6, 7を展開する条件で、FDRに残されていた30秒後に振動が発生する状況を再現できた。
「航空機関士がトイレ休憩に席を立った際、機長が速く行こうとして、FE席のsrut用circuit brakerを引き抜き、flap2°でsrut2,3,6,7を展開した。その後何も知らないFEが席に戻り、circuit brakerが飛び出しているのを見て押し込んだため、srut2, 3, 6, 7が展開した。buffetingに対してflapは収納できたが、srut#7だけはTボルトが破断して、大きく展開したままとなった。錐揉み降下でsrut#7に風圧がかかり、幸いにも地上8,000ftで脱落したため、両翼にかかる負荷がほぼ均等となって、機体を立て直すことに成功した。」とNTSB結論付けた。同委員会は高速でのsrutとflapを展開する操作は、改正されねばならないと勧告した。

旅客機がコンピュータ制御される前に活躍したB-727型機では、操縦士の経験や技量が大いに試されます。この事故でも不正な操縦操作が行われて錐揉み状態に陥った際、機長による必死の操作で九死に一生を得る事が出来ました。高度39,000ftまで上昇していたことや、srut#7が8,000ftで脱落したことは幸運につながりました。
着陸前にflapの作動状況を予め確認し、flapを使わずに着陸を試みて、見事に成功させた点などは、機長の腕前を垣間見ることが出来ます。それにしても航空機関士が席を立った合間に、こっそり違法行為を行うなど、今日の航空業務では考えられない無謀な運航です。なお彼はこの世を去るまで、自分の過失を認めなかったそうです。
El Al航空1862便墜落事故では、不用意にflapを展開させたことが墜落につなかっています。もっとも、この事故では何が起こったのかも分からない状況だったから、比較するのも酷かも知れませんが。

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