航空機事故から学ぶ:突如決まった遊覧飛行
1998年7月31日、Proteus航空706便(Beechcraft 1900D型機、F-GSJM)はフランスLyon Saint Exupery空港からLorient South Brittany空港までの40分間ほどの国内線で、19人乗りの機体に乗客14名を乗せて巡航していた。機長は31歳、副操縦士は27歳と若く、Lorientの南東を3,700ftにてIFR飛行中だった。
機長はATCへQuiberon湾へdeviationする旨をリクエストした。そこに1962年建造の同国を代表する大型客船La Franceが停泊しているだからだった。客室へも客船の上空を1周してからLorient空港へ向かうと伝え、より眺めやすい高度へ2,000ftまで降下することとした。そこは非管制高度のためIFRはキャンセルされ、VFRでQuiberon湾へ降下して行った。La France上空を反時計回りに左旋回して、そのまま目的地へ針路を向けようとした瞬間、突然機体が分解し、Quiberon湾へ墜落。乗員乗客14名が死亡した。
フランス航空機事故調査委員会(BEA)の調査官らは、墜落機のLocatorビーコンの発信元を海上で捜索しながら、目撃者から事故がどの位の高度で発生したかの情報を取集した。事故の2日後、推進60-80mの海底で機体の残骸と遺体を発見し、収容した。その中には機首が赤色の別の機体片が含まれていたので、空中衝突した可能性が出てきた。
回収されたCVRを解析すると、同機には操縦室の扉がないため、男性乗客の一人が操縦室の後ろに立って、Quiberon湾に同国有数の大型客船であるLa Franceが停泊中なので、それを上空から観てみたいとリクエストしていた。機長はそれに応じて、特別に航路変更したことが判明した。
15:54にVFR飛行に代わり、機長が"あそこにCessna機が..."と既にVFR機を視認していたことが確認された。一方、Quiberon湾北東にあるVannes飛行場からF-GAJE(C1-172型機)が事故の9分前に離陸し、その後未帰還であることが分かった。この機長は総飛行時間15,000時間超の元定期便パイロットで、衝突当時はtransponderが不作動状態であった。
海底から引き揚げられた残骸を丹念に並べてみると、Beechcraft機右側後方の破断面に赤色のC-172の塗料が付着しており、FDRのデータ解析と照合すると、706便が左17°のバンクで旋回中に右後方へC-172がほぼ直角に衝突したと分かった。
Beechcraft1900Dのsimulator再現では、このような飛行状況で左席でPMをしていた機長が右後方へ接近するC-172を視認するのは困難と思われた。またC-172の左席に乗り組んで視界を確認すると、左右に35-55°の範囲は操縦席のピラーで良く見えず、更に降下中であった場合は機体の下方は殆ど見えないことも確認した。
Proteus706便はLorient Lann Bihoue 119.7MHzを聴取していたが、C-172の方はVannes Meucon 122.4MHzをwatchしており、双方が位置関係を確認していなかったことも判明した。実際、C-172の方は3,000ftから1,500ftへ降下中との一方送信を行っていた。
BEAはGA機でもtransponderを発信して飛行すること、小型機での乗客の操縦室へのアクセス禁止、それに定期便が不用意にIFRキャンセルをしないことを勧告した。
LyonからLorientへ一直線に飛行するルートから僅かに逸れた位置にQuiberon湾があるため、若い機長は乗客のリクエストに応じてミニ遊覧飛行をしてしまったようです。衝突したC-172以外にも、別のカメラマンがチャーターしたCessna機や報道ヘリがいたとのこと。bank17°の旋回はほぼstandard rateであったのでしょうが、低速の小型機と双発ターボプロップ機が大型客船を中心にガグル様に旋回しているのは、どう考えても危険でした。
ただセスナ機がtransponder OFFで飛んでいたのであれば、IFRでもradarモニター出来なかった訳で、定期便機長の若気とサービス精神が全員の運命を決めたと云えましょう。自分もtransponderモードをstandbyのまま離陸したり、ALTにセットしてMode-Cにしたと思っていたら、ON(Mode-A)になっていたりしたことが度々あります。トラフィックが集中する空域には「君子危うきに近寄らず」が賢明ですが、見張り義務は航空法に謳われずとも、極めて基本的な重要事項なのです。