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航空機事故から学ぶ:予想より重過ぎた③

2015年7月26日、調布飛行場を基地とするパイパー・マリブ(PA-46型機)は乗客3名が後方のクラブ式対面シートに着座し、完熟飛行目的で左席に36歳の機長が搭乗して、大島空港へ有視界飛行することとした。機長は総飛行時間を1,300時間ほど有していたが、同型機については120時間ほどで、事故前30日間の飛行は29分に過ぎなかった。同乗者は金を払って搭乗した乗客であり、実質有償飛行であった。同機は気温34℃無風のなか、Spot 20Nから調布飛行場の800mあるRwy 17へline-upした。10:57amに滑走路端から少し内側より、通常の離陸操作で滑走を開始した。機体が5人乗りのため加速が鈍重であったが、滑走路南側端から170m残して浮上した。
機長は通常と同様に機首を上げて上昇を試みたが機体はさほどスムーズに上がらず、pitch-up姿勢のため機速も増えなかった。同機はpitch-upを緩めぬまま飛び続けたため速度を徐々に落としながら、滑走路南側に広がるサッカー場上空を数十ftの低高度で多摩川方面へ飛行した。
gear-upしても機速が上がらず、滑走路南端から770mの地点で機体高度は90ftしかなく、徐々に低下していた機速がとうとう失速速度に至った。そこから機体はコントロールを失って左側へロールしながら降下した。同機は離陸から30秒も経たないうちに滑走路南端から770m、中央高速道調布IC北側の調布市富士見町1丁目にある住宅地に裏返しとなって墜落炎上した。この事故で機長、2列目の後ろ向きシートに座っていた1名、および墜落した住居の住民1名の合計3名が焼死した。残りの乗客3名が重傷、住民2名が軽度負傷した。
運輸安全委員会(JTSB)の事故調査官は、離陸上昇時に機体が失速して墜落したものと推定。まず事故発生時の機体重量とバランスを推測した。PA-46型機の最大離陸重量1,950kgのところ、燃料・搭乗者・手荷物の総重量から58kg超過していたと推定した。たまたま撮影されていた事故機の離陸ビデオから滑走路北端から630mのところでairborneさせた際、本来なら78ktでrotationかけるところ73ktであったことが判明した。またairborneした直後から速度が低下していたにも拘わらず、機首は4°引き上げられたままであったため、失速状態に陥ったものと推定された。
事故機には350hpのターボチャージャー付きピストンエンジンが搭載されており、フルパワーで離陸すれば失速に至らなかった可能性が考えられた。また失速した機体を目撃した近隣住民が、「エンジン音が弱かった」と証言した。更にこの機体は2004年10月27日に、丘珠空港でオーバーラン事故を起こしてエンジンを損傷した記録があった。JTSBは事故機のエンジンをライカミング社へ送付し、エンジン内部の異常を精査依頼したが、問題は見つからなかった。
結論として、離陸重量オーバーのところ、低速で離陸操作を行い、過度な機首上げ操作を続けたため、失速して墜落したと結論した。機長が死亡したため、離陸重量オーバーの認識、離陸から上昇時の操縦判断については、FDRがなく不明であった。

2015年7月の東京は既に真夏で、同月の平均気温は26.25℃、最高気温35.8℃、最低気温17.6℃でした。
特に事故当日は晴天の日曜日で、最高気温35.8 C、最低気温26.0Cと最も暑い日だったのを覚えています。この事故が発生した直後から、ニュースやワイドショーはこの話題で持ち切りでした。航空評論家の多くは大型旅客機のパイロットOBのため、小型機の性能や自家用機の運航形態にはトンチンカンな解説をしている方が散見されました。けれども何人かは、当日が今でいう猛暑日であったため、機体性能が落ちていた筈と指摘していました。
高温多湿で航空機の性能が低下することは基本的事項であり、操縦証明の筆記試験にもよく出題されます。標高139ftの調布飛行場でも、事故発生当時の密度高度は2,500ft程あったと考えられます。つまり空気がかなり薄くてプロペラ推力が低下する中を、重量オーバーで離陸しようといた訳です。同型機がフラップ0~10°使用し、最大離陸重量の1,950kgで、34℃の猛暑の中を離陸しようとすれば、離陸地上滑走距離は約680mで済むとのこと。フラップ20°展開していれば、約527mでairborneするそうです。JTSBは数理モデルを使って、エンジン出力の低下が失速につながった可能性も検証したようですが、「エンジン不具合が発生したことを明確に示す結果が得られず、外気温が高温で あったこと及び吸気圧力が低かったこと以外の要因によりエンジン出力が低下してい たことについては、明らかにできなかった。」と述べられているだけです。最大離陸重量超過と高温多湿の関連を、今後の夏場の離着陸安全のためにも、もっと事故調査報告書で言及して貰いたいものです。
事故調は事故機の出発時重量を2,008kgと推定していて、そのうち286kgが燃料のAVガスであったとしています。これはおよそ380Lに当たり、PA-46 350P型機の燃料タンク容量120Gallon(454L)の84%に相当して、経済速度なら1,600kmほど飛べる量です。調布空港から大島空港まで直線で約100kmですから、離着陸なしなら8往復できる位の搭載量です。事故時の同機の重量と重量位置は、envelopeから僅かに機体後方へ出ていたようですが、燃料を半分にもすれば、こんな事故は起こらなかった可能性があります。
自家用小型機で燃料をタンクから抜くのは容易でありません。ニュース番組でキャスターが「翼端から燃料を放出して...」とジェット旅客機かのような解説していましたが、小型機にそんな装置は付いてございません。では何故そんな大量の燃料を搭載していたのかと推測すると、燃料タンクを空近くしておくと、温度差でタンク内部が夜間に結露して燃料系統に水分が混入するのを予防する為だったからだと思います。乗客が1-2人で、しかも荷物が少なければよかったのですが、釣り道具など27kgほど荷物を持ち込んでいたと想像されます。事故報告書で、機長は重量オーバーを認識していかた不明としていますが、明らかに意識していたでしょう。滑走路端手前で焦ってshort field take offを試みたものの、サッカー場の子供たちへ突っ込みそうだったので、ぎりぎり操縦桿を引きながら、300ft位まで上昇したかったのではないかと思います。
事故調査報告書では取付誘導路を利用して、短い滑走路を最大限有効に使って離陸する安全性を紹介していますが、空港管理者の東京都港湾局は誘導路の整備はおろか、近隣にあるごみ焼却場の煙突が無くなった後も、滑走路長をかつての1,000mから短くしたままです。
事故原因の真相は藪の中にありますが、首都圏唯一の公共飛行場で自家用機が自由に飛べなくなったという深刻な現実を引き起こした本事故。「調布飛行場まつり」で地元の子供たちや航空ファンが小型機を囲んで笑顔を見せていたのは、もう一昔以上前のこととなりました。

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