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航空機事故から学ぶ:予想より重過ぎた②

1985年12月12日、EgyptのSinai半島で平和維持活動をしていた米国陸軍101部隊の兵士ら248名と乗組員8名をCairo空港から搭乗させて、米国ケンタッキー州の基地へ向けて帰国の途についていたArrow Air 1285便(DC-8型機)。
大西洋を横断して、カナダNew FoundlandのGander空港で給油を受けた。15,538Galのジェット燃料を搭載して、6:46amにRwy 31を離陸しようとしたが、風向290°/4ktでRwy 22からの離陸を指示された。VR=144ktで離陸できたが、空中で速度が上がらず、機体の振動が大きく、加速しなかった。機長、副操縦士、航空機関士は、機首を上げながら何とかairborneを維持しようとしたが滑走路先の林へ墜落。乗員乗客256名全員が死亡した。
カナダ航空安全委員会(CASB)の調査官らはblackboxを回収し、同時に関係者から証言を得た。空港のground staffは同機の翼が薄っすらと氷結していたと証言した。同じ日に先行して離陸した2機のうち、1機は除氷し、1機はそのまま離陸して、いずれも問題はなかった。
事故現場の樹木で先端を事故機に刈り取られた378本の様子から、同機は右翼を上げて、機首を上げた姿勢で墜落したことが想像された。Rwy 22はGander空港では最長の滑走路で、離陸滑走距離は想定より長く、4秒ほど遅く離陸していた。flapは規定の18°展開されており、4発のエンジンはいずれも全出力で回転していた。遺体の病理解剖を行ったところ、多くでCO中毒が死因とされ、イスラム過激派のヒズボラなどによるテロの可能性も示唆された。当時米国ではIranコントラ事件が議会で証言されたりして、陸軍の関りも考えらえたため、一部の調査官らはcargoの荷物に爆発物があり、それが機体を爆破したのではないかと想定した。
他の調査官らは搭乗者の体重が陸軍兵士だと各自220Lbほどあり、標準的な乗客の男性170Lb、女性130Lbから大きくかけ離れてことに注目し、離陸重量を乗客1人当たり220Lbで計算しなおしたところ、wegiht overしていることが分かった。CairoとドイツのCologne空港で問題なく、Gander空港で失速したのは、恐らく薄っすらとicingしていたからだろうと結論した。乗客の一酸化炭素中毒については、機体が失速状態の時にはCOが客室内へ流入するとして、この状態でも起こり得るとした。
同委員会の報告書は離陸重量超過と翼の氷結を主原因と結論したが、9人の委員中4名が反対し、テロ説などを支持した。

icingによる翼面のcontaminationは、薄っすらとしたものでも著しく揚力を低減させることは、今では常識となっています。同国ではその後Dryden空港でのOntario航空の離陸失敗事故で同様な問題が発生しています。
過重搭載で離陸は出来たものの、その後の操縦操作で墜落に至ったBeechcraft 1900D離陸失敗事故では、着陸装置を収納して重心位置が移動したことが、異常姿勢を引き起こしました。
テロ爆破説は、機体に内部から爆発したような捲れ上がりがあるなど、外見的なものからの推測で、実際にその部分から爆発物の残留物が検出されなかったことからも、推論に無理があるのは当然かと思えます。
このことでCASBの意見が真っ二つに割れ、うやむやな結論を出したため、同委員会への社会的信用が失墜しました。CASBが後年TSSへ改組される一因となった訳で、この不信は予想より重かったのです。何とも後味の悪い航空機事故調査でした。

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