航空機事故から学ぶ:工事中の滑走路衝突事故
工事中と分かっていながら誤って着陸:ウェスタン航空2605便着陸失敗事故
1979年10月31日、米国ロサンゼルス発メキシコシティ行きWestern航空2605便(DC-10型機)は、53歳の機長、46歳の副操縦士、39歳の航空機関士ら乗員13名と乗客76名を乗せて、早朝の濃い霧のなかRwy 23Rへの着陸を試みていた。
その際、Rwy 23Lは滑走路面の補修中で閉鎖されており、23RにはILSが装備されていなかったため、乗務員はRwy 23Lからのsidestep approachを試みていた。
地上管制は同便に対してRwy 23Rを目視したら直ちに右側へsidestepすることを意図した指示を4回出し、乗務員もその都度Rwy 23Rへ着陸することを確認していた。
午前5時の時点で、空港付近の視程は2-3SMあったが、事故直後の午前6時にはほぼ0となっていた。
5:42am、同便は滑走路面の補修工事のため閉鎖中のRwy 23Lに接地した。その時機長は「しまった!左に接地しちまった!!」とエンジン出力を上げ、着陸復行が試みられたが、接地の3秒後に右主脚が駐車していた10tonトラックに激突し、引きちぎられて、それが右水平安定板を直撃した。
機体は右に傾き、右翼が滑走路端から1,500mの地点にあったパワーシャベルの運転席に激突した後、右翼端から接地して破断。接地から26秒後にEastern航空の整備用建屋に衝突して出火した。近隣の住宅へも火災が広がった。この事故で搭乗者のうち72名とのトラックの運転手1名が死亡した。
Rwy 23Lから23RへILSアプローチする決心高は600ft AGLのところ、それより低い高度で左側滑走路へsidestep approachしたのが規則違反であり、最大の事故原因でした。ALPA(米国操縦士協会)が独自に行った調査では、この手順について乗員らに混乱があったと要約しています。
工事中でない滑走路と誤って離陸:シンガポール航空6便離陸失敗事故
2000年10月31日、台風Jansen接近中の台北の中正国際空港から離陸を試みようとしていたSingapore発Los Angeles行きSIA6便(Boeing747-400型機、Tropical Megatop塗装機)は、機長と副操縦士の操縦で、予備機長を含む乗員と乗客179名が搭乗して、Rwy 5Lへ向けて離陸滑走していた。15:02時点の風向風速は020°より24kt、G43ktと暴風が吹き荒れており、同機の運航では横風30kt超では離陸できないこととなっていた。
15:15管制塔より風向風速が020°/25kt、Gust<50ktとの報告を受け、機長は離陸を決断。290km/hrまで増速した際、右翼へ何かがぶつかって出火し、機体はスピンして破断。乗員は乗客に対して退避を命じ、乗員らは緊急時の手順もそこそこに機外へ脱出した。83名が死亡し、71名が重軽傷を負った。
台湾航空機事故委員会(ASC)の調査官は、まず台風の暴風で機体が滑走路から逸脱したと想像した。生存した3名の乗員へ問質したところ、機長は「何かが滑走路上にあり、操縦桿を引いて回避しようとした」と答えた。実地検分では、機体の残骸はB747の1機のみであった。
同空港にはRwy6、5R、5Lの3本があるが、当時5Rは工事中で、事故機のタイヤ痕から5Rより離陸しようとした可能性があった。機体後部のblack boxは、殆ど損傷なく回収された。
機長はRwy 5Rが工事中であるとの文書を受け取っているとし、他の2名と共にRwy 5Lから離陸しようとしたと主張した。但し、予備機長は視程が600mしかなかったこと、taxi経路を変更されたことを証言した。調査官らは実機で同じ経路をtaxiしてみたところ、滑走路5Rの表示はよく見えたが、滑走路上に走行用の緑色灯火が点灯していた。
CVRでtaxi中の会話を解析したところ、混乱した様子はなく、9ktで慎重にtaxiしていたことが確認された。しかし事故機が滑走路端で正対した際に、副操縦士がILS LocalizerがRwy 5Lに合致していないことを機長へ進言していたが、機長は取り合わなかった。
事故発生当時の風向風速は020°から28kt、突風50ktであったが、機長が横風成分<30ktを計算して確認。離陸滑走路について確証バイアスに陥っていた機長は、そのまま離陸操作に入ったものと結論づけられた。
機体は80ktを超えV1に達していて、機長が懸命に操縦桿を引き上げたものの、工事用コンクリート・ブロックに衝突。バランスを崩してクレーン車に衝突し、墜落したものと結論づけられた。
台風接近中の僅かな間隙を縫って離陸を試みようとしていた機長は、副操縦士がlocalizerの指示が使用する離陸滑走路に合っていないことを指摘されるも、離陸することに執着し、指摘を却下してしまったことが大事故の分かれ目になってしまいました。このような状況では、「localizerが合致していない」と伝えるのではなく、「Runway 5Rに誤侵入している可能性がある」とより直截的な伝え方をしないと、確証バイアスに陥っている機長には取り入って貰えなかったのでしょう。2024年1月に発生した羽田空港での日航機と海保機の衝突事故でも、海保機の機長は離陸滑走路へラインナップして良いと、同様な確証バイアスに陥っていた可能性が指摘されました。
航空機事故の座席位置からみた死亡率は、通常機首に近いセクションの方が高いものですが、この事故では前方49%、中央56%、後方69%と逆でした。また窓側より通路側の方が生存率が高かったそうです。これは事故の衝撃によるものではなく、太平洋横断用の大量のジェット燃料による焼死や窒息死であったため、と考えられました。