見出し画像

航空機事故から学ぶ:道連れで2基落ちた③

強度不足で落ちた:1992年10月4日の19:20、オランダのAmsterdam空港からイスラエルのTel Aviv空港へ向かってB747貨物機が164tonの貨物を積載して出発した。機長、副操縦士、航空機関士ら4名が乗務し、副操縦士が操縦していた。Skipol管制からFL210までの上昇を承認され、離陸から7分後に突然ボーンと大きな音がして、機体は右へ旋回した。31歳の副操縦士は"What's a hell!"とビックリし、機長が操縦を代わった。引退間近のベテラン機関士がエンジン#3と#4がいずれもOutとなり、それぞれの油圧システムもダウンしたとコールした。
機長は左Rudderを一杯に踏み込んで機体を立て直し、副操縦士はMaydayを宣言した。Skipol空港へ引き返すことを要求し、磁方位360°で飛行を続けた。#3に火災警報が出たため、消火装置を作動させてE/Gを停止した。機長はRWY 27が最長と知っていたので、そちらへ着陸することをリクエストした。RWY 27から7NMの地点で高度が高かったので、機長は旋回して燃料を投棄しながら高度処理して、追い風7ktの滑走路へ正対した。Gear down、Throttle down、Flap-2を入れたところ、機体は再び不安定となり、右へ旋回し始めた。管制官は310°を指示したが、機長は機体を水平に保持できず、副操縦士がControl problemを伝えた。その後真っ逆さまに降下し始め、"El Al 1862, going down!!"との交信を最後に、空港近くの11階建てアパートへ墜落した。L字型の建物の曲がり角部分に機体が突っ込んだため、その衝撃と火災でアパートは真っ二つになった。乗務員4名と、アパートの住民ら40名が死亡した。
オランダ航空機事故調査委員会の調査官らは、救出活動が終わるまで事故調査が行えず、まずATCの交信記録を確保した。米国NTSBから派遣された調査官はごみ処理施設へ赴いて、アパートと機体の残骸を分別する作業を見守った。事故現場からの残骸は膨大な量で、その中からFDRを何とか見つけ出すことが出来た。FDRはNTSB本部へ送付され、その中に納められていた磁気テープを丹念に修復する作業が進められた。
事故機が墜落する前に2基のエンジンと思われる部品が空港の北東部AlmerehavnにあるGooimer湖に落下したとの目撃情報があり、直ちに捜索が行われた。#4エンジンと右翼前縁が引き上げられ、爆発による破壊がなかったことを確認した。#3エンジンは直ぐに見つからなかったため、海軍の協力でソナー探査を行って発見した。当時空港周辺に沢山の鳥の群れがいたことからBird strikeがなかったか検証したが、動物の体液や有機物に反応する緑色の蛍光は確認されなかった。#3の火災警報は恐らく誤作動であったのだろうと考えられた。#3エンジンに塗料が付着していたため鑑定したところ、#4エンジンのCorn spinnerのものだった。これらの事実から調査官らは、何等かの原因で#3エンジンが脱落し、それが#4エンジンに衝突して2つとも落下したと推測した。
何故#3エンジンが脱落したのかについて、ごみ処理場の残骸からエンジンを固定するFuse pinが発見され、これには4mm長の金属疲労によるひび割れが見つかった。そうなるとエンジンを懸垂するPylonが壊れて、翼前面を破壊して油圧が抜けた可能性が考えられた。機長がFlap-2を入れた際に、左側のFlapだけ作動して、機体が再び右へ旋回して操縦不能となったものと理解された。機体は失速し、時速350マイルでアパートメントへ激突したと考えられた。
事故調査委員会はBoeing社に対して、4つあるFuse pinの部分的な強度不足を指摘し、B747型機Pylonの再設計を勧告した。Boeing社は直ちに強度を上げたFuse pinをB747運航会社へ供給し、Pylonの設計も後年変更された。

本当に驚くべき原因で起こったジェンボジェット機の墜落事故でした。首都空港から離陸直後の事故ではあり、何と高層アパートに164トンの貨物とジェット燃料を満載したB747が突っ込んだため、大惨事となったのです。その残骸の山からFDRや問題となったfuse pinを探し出せたのは、奇跡に近かったと云えるでしょう。
更に、事故原因究明の鍵となったエンジンは水深数mほどの湖に水没したため、#3エンジンが#4へ衝突したと推測する決定的な証拠を得ることが出来たのも幸運でした。現代のジェット機には各所に高性能カメラが設置されているので機体の異状が発見しやすいですが、当時のB747貨物機ではそれは困難なものでした。FDRにビデオ画像も残せたら良いのにと感じます。
機長は左Rudderを一杯に踏み込んで機体を何とか水平に戻せたのだったのだから、Flapを展開せずにそのままForward slipで高度処理していれば、遭難機を減速しても何とかRWY 27まで辿り着けた可能性があったかとも思われます。#3エンジン火災の誤報が余計な混乱を招きました。
この事故からの教訓として、理由が分からない機体制御不能の際には、なるべく新たな機械操作は加えず、現状の制御を微妙に修正しながら操縦するのが賢明だということです。そうは云っても、まさか右翼のエンジン2基が道連れで脱落したとは思いもよらなかったでしょうから、後知恵の意見具申は犠牲となった乗員に酷な話です。
4発機のエンジン脱落事故問題が、機体へ最小限の損傷で済むよう、Fuse pinの強度やPylon設計や変更がなされてきた歴史について、3回シリーズで解説してきました。中でもこの事故が後世に伝えた課題は実に大きかったと、今でもアムスを訪ねる毎に思い起こします。
自分自身は4発機に搭乗したことがないので、改めてベストセラー4発機の安全性の限界について、思い知らされた三連載でした。

いいなと思ったら応援しよう!