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航空機事故から学ぶ:どうにもシップが止まらない!3️⃣
2024年12月29日、韓国南西部の務安空港で済州航空のB737型機が胴体着陸してオーバーランし、179名もの乗員乗客が亡くなる重大事故が発生しました。韓国国土交通省は、務安空港のローカライザー下部にあるコンクリート製構造物を撤去し、ローカライザーを再設置する決定をしました。また滑走路延長線上の安全区域を、従前の200mから240mへ拡張することにしました。
韓国事故調による現場実施調査はほぼ完了しましたが、その調査結果が公表されるまでは本シリーズでは取り上げず、過去に調査された滑走路オーバーラン事故の原因を振り返ってみます。
制動装置の誤配線でオーバーランしたペニンシュラ航空3296便事故:2019年10月17日の昼前、米国アラスカ州Anchorage空港からPeninsula Airways 3296便(SAAB2000型機)は、56歳の機長、39歳の副操縦士、それに客室乗務員1名に乗客39名を乗せて、州内Dutch HarborのUnalaska空港へ向かっていた。
着陸30分前、FL290から降下中、目的地の風向風速は310°から11ktであった。操縦士らはRwy 31へのアプローチをリクエストした。ところが直後には大気圧29.50 inch Hg、210°から6ktとなり、突風14ktに変わった。Unalaska空港は山がちの半島の先端に長さ4,500Ftの滑走路が1本あるだけで、副操縦士は横風の影響を受けにくいRNAV Rwy 13をリクエストした。
最終着陸態勢でFlap20°を入れた段階で、同機はアプローチが高めだった。機長は副操縦士に「どうする?」と副操縦士に尋ね、副操縦士は「Go-aroundする」と答えた。地上の風を再度確認すると、300°/24ktであり、機長は「Rwy 31」と言及したが、副操縦士は不服そうで、再度Rwy 13に目視進入を試みた。
同機は13:40、”Sink Rate”の警報音が鳴るなか、Rwy 13の滑走路端から1,000ft内側にあるTouch Down Zoneに126ktで接地。機長は直ちに逆噴射を作動させたが、ブレーキが全く効かず、滑走路反対側の海に転落しそうになり、乗客が「Brace!」と叫んで頭を下げた。乗員らの機転で同機は滑走路右脇のフェンスを突き破り、公道へ突き進んだ。左側の主車輪が道路から海岸べりのテトラポットに脱落して停止した。機長は機体右側から脱出指示をしたが、左プロペラが弾け飛んで4列目のキャビンに突き刺さり、3名が重傷を負った。直ちに救急隊が救出したが、4Aに着席していた38歳の男性が翌日亡くなった。
NTSBの調査官らは、乗員へ事故発生時の様子を尋問した。機長は飛行前点検で左タイヤの摩耗が顕著だったが、交換は不要な程度だったので良しとしたと。制動システムの不良ではなく、滑走路面に雹が積もっていたかと思ったと回答した。しかし事故発生時の天候は良好で、その可能性は否定された。
他方、事故発生時の風向風速を調べてみると、1回目の着陸時は270°から10kt、2回目は290°から16ktで突風では30kt吹いていた。Rwy 13へ着陸の場合、15ktに達する背風に達していたことが分かった。
着陸時の重量オーバーも考えられ、事故発生時の重量を計算してみたところ、45,213LBで、最大着陸重量の46,111LBに達していなかった。
滑走路面にタイヤ痕が認められたが、4本のタイヤのうちパンクした左外側の1本だけだった。飛行前点検からこのタイヤの摩耗が顕著だったので、左脚のABS(Anti-braking system)に問題があることが疑われた。
しかし制動力が半減していたと仮定しても、Flap20°で着陸時の重量、対気速度を当てはめた場合、接地点から3,500ftで停止できる筈と考えられた。
そこで事故機のABS系統を精査したところ、部品に故障はなかったものの、左脚のケーブルが外側タイヤと内側とで見分けがつかない同一品が使われていた。ケーブル内の電線の数も上方には4本の電線なのに、下方には3本しか入っておらず、電線に番号も振られていなかったため、内外のタイヤへ結線を間違えていたことが示唆された。この状態では、外側タイヤがスキッドしてロックした時、誤って内側のブレーキが緩む形となる。そのため外側のタイヤが摩耗し、制動力が著しく低下したことが説明できた。事故機のABSは2017年1月20日に修理されており、その後2年9か月の間500サイクル飛行していた。
事故機のシステム上の問題が分かったところで、もしもRwy 31に着陸していたらオーバーラン事故を起こしていたか検証したところ、事故は起こらなかっただろうと想定された。
事故調査委員会は、機長のリーダーシップ不足で強い背風となる滑走路へ着陸したこと、Anti-braking systemが結線間違いで正しく作動せず、左外側のタイヤがパンクしたことが事故につながったと結論した。
Anti-braking systemが結線間違いは誰もが気づく筈のない整備上の欠陥でしたが、強い追い風のなかで着陸を強行したため、滑走路内で止まり切れなかったのは重大な過失です。事故前に500回以上着陸しても、いずれも事故へつながらなかった訳で、ムッとしてRwy 13への着陸に固執した副操縦士の誤判断と、それをやんわり修正しなかった機長の対応が事故に至った第一の要素でしょう。前回までのTAM航空とAtlantic航空の滑走路オーバーラン事故でも云えるように、操縦士の精神的な不安定さがこのような事故に影響することが度々あります。
Wikipedia日本版をみると、機長は2万時間を超える飛行時間がありながら、SAAB2000型機では101時間で、副操縦士では総飛行時間が1,446時間、同型機147時間と、どちらも事故機への乗務経験が大変短かったようです。この点が安易な背風着陸につながった背景にあるかも知れません。