航空機事故から学ぶ:CALのA3001️⃣自分でやってごらん
China Airlines 140便着陸失敗事故:1994年4月26日、台北の中正国際空港から名古屋空港に向かっていた中華航空140便(Airbus A300B4ー622R型機)は256人の乗客を乗せ、2.5時間のフライトを無事に終えて、高度6,000ftから名古屋空港RWY 34に向かって降下して行った。機長は元空軍パイロット42歳でB747型機の副操縦士から1年前にA300の機長に昇格した。副操縦士は1年前に副操縦士へcheck-outした26歳の新人であった。機長は口笛を吹きながら副操縦士にアプローチを任せ、「私に聞くな。自分でやってごらん。邪魔しないから…」と嘯いていた。副操縦士は相当緊張しながら170ktへ減速、gear-down、flaps-downの手順を踏んでいった。
名古屋空港管制塔からRWY 34への着陸が許可されたが、高度1,000ft付近で突如エンジンが吹き上がり、操縦輪を押し込んでも降下しなくなった。throttleを手動にしても状態が変わらず、高度300ftで機速は142ktまで落ちた。副操縦士は機長に操縦交代を願い、機長が操縦桿を取った。機長はgo-aroundを決心し、管制塔へその旨を伝えた。しかし事態はますます悪化して、機首が極端に上がって失速し、機体は失速して、パンケーキのようにRWY 34東脇に墜落した。鎮火するまでに1時間以上を要し、3歳と6歳の子供を含む7名が生還したが、両操縦士を含む264名が死亡した。
運輸省航空事故調査委員会AAICの調査官らはまず管制官へ尋問し、何故go-aroundしたのかを尋ねたが、はっきりした理由は分からなかった。
機体の残骸からエンジンにflame-outはなく、フラップはjack-screwの位置から15°出ていたことが確認された。スラットもgo-aroundの仕様となっていた。FDRとCVRも回収され、その解析のため、Airbus社の技術担当者が招聘された。
FDRを解析すると、short finalでG/A modeに入れられていたことが分かった。CVRでも高度2,300ftで自動操縦装置を解除する際に、副操縦士が誤ってgo-aroundレバーを握ってしまっており、そのことを機長が指摘していた。問題は一旦入れられたgo-aroundモードを解除する術を知らず、2人の乗員は操縦桿をひたすら押すことで機体の安定を図ろうとしていた。そのため最終的に機首は50°upの姿勢となり、機長は「もう駄目だ!」と絶望的な声を発して20:15:30で音声が途絶していた。
中華航空では自社でA300-600型機のsimulatorを所有しておらず、機長はタイでsimulator訓練を受けていた。ところが利用したsimulatorは搭乗機の仕様が異なり、G/A modeで操縦桿を押せば機首を下げられた。実は同様な事例が数件あったため、Airbus社はこれを修正したプログラムをService Bulletinで周知していたが、事故機はFLT modeに変更しないとG/A modeは解除されないプログラムのままであった。Not mandatory changeと指定されていたため、中華航空ではプログラム更新はpendingとなっていたのだった。
名古屋空港で大型連休前に発生したこの事故は、日本では衝撃をもって受け止められました。fly-by-wire黎明期の機体には人間工学面で問題があり、特に異常姿勢となった時に、乗員は何が起こったかすぐ理解できず、手動で対処出来ないプログラミングになっていることがあったのです。これはhuman interfaceの問題で、最近連続して発生したB737 Max8の事故でも見られます。
当時の台湾では航空安全への配慮がまだまだと乏しかった時期で、中華航空がプログラム設定が異なるsimulatorで訓練を受けさせていた事も、間接的な事故原因でした。fly-by-wireの進化のために、沢山の日本人と台湾人が犠牲となったのです。
事故当時、欧米の航空評論家は、飛行経験が650時間程度でA300のような大型機を操縦していると指摘していました。欧米航空会社の飛行経歴からすれば、タービン機への搭乗が1,000時間にも満たないエアマンが、ジェット旅客機を操縦することなど論外なのです。今回の墜落事故は操縦技量の未熟ではなく、システム理解の問題でした。しかしGAの裾野がないアジア諸国での若手操縦士育成では、双方を両立した育成プログラムが必要でしょう。
軍隊上がりの機長は新人パイロットを脅しめるのは普通にあったのでしょうが、自分自身も機体操縦に精通していなかった訳です。その代償は余りにも大きかった訳で、Crew Resource Managementの改善も同社に突き付けられた事故でした。