なぜ、嘘っぽい言葉はいらないのか
アイドルという職業は誤解が付き物だ。元々が虚実ないまぜの世界なので、ありのままを伝えるのは難しい。なんなら自分から嘘を付くことだってある。逆に、正直に語ったとしても額面通りに想いが伝わるとは限らない。それどころか、元々どういう人間なのかをうっすらわかってもらうことすら容易じゃない
なぜか
もとを正すと、グループアイドルというのは単純に人が多い。その結果、一層目の情報しか知らないファンがどうしたって多くなる。40人以上のアイドルの活動をホントに全部スミからスミまで把握してる人などごく僅かだ
私も私なりに、寺田蘭世さんを筆頭にいろんなアイドルに時間を割いてきたが、全員の必須事項を一通り全て把握しているかと言えばもちろんNO。きっとベタな偏見がいくつもある。下手をすれば、まんま正反対の認識に陥っているかもしれない。井上小百合さんや鈴木絢音さんへの自分の第一印象がどうであったかをよくよく思い出してみると、1ターン目の認識は本当にアテにならない
今、"正反対の認識" と私は言った
いわゆる "誤解" と聞き、大半の人がパッと頭に思い浮かべるのはコレだと思う。実際はAなのにBと思われるパターン。本当は虫一匹殺せないほど優しいのに、顔がいかついせいで怖い人間と思われる、など
誤解にはもう1つある。AでもBでもあるのにAとしか思われないパターン。本当は可愛さも格好良さもあるが、格好良さ一辺倒と思われる、など
この第二の誤解は何かと厄介だ。1つ例を挙げると、乃木坂46には北野日奈子さんというアイドルがいる。太陽を思わせるほど明るく元気なキャラクターだが、一方でガラス細工のように繊細な一面も持っている。いわゆる元気な人と言っても浮き沈みがあって四六時中笑ってるハズもないが、一度元気なイメージが付くとそれ一辺倒を求められがちになる。そしてその際、下手に笑顔を拒もうものなら今まで培ってきたものを疑われる恐れまである。一時期は休養せざるを得なかったようだが、無事、ひとまわり強くなって戻ってきた
生身の人間ならいくらか揺らぎがあるものだ。だが、それを世の中にわかってもらうのは意外と難しかったりする。特に、北野日奈子さんは選抜とアンダーを行ったり来たりしている浮動的な立ち位置であり、苦労も多かったハズだ
選抜はスポットライトが当たるからこそ、アイドル側が "寄せる" ことを求められがちのようだが、アンダーはアンダーでスポットライトが十分に当たらないからこそ、観る側の印象が自然と "寄る" 傾向がある。アンダーライブの熱気は理解と誤解が紙一重でもあった。それこそ唯一最大の見せ場になるときもあるから、何かが発見されるときもあれば、何かが埋没するときもある
アイドルとして生き抜くのは並大抵のことじゃない。ならどうするのが正解か。答えは十人十色であり決まった正解などはない。ただ、そんな中、私の目をひときわ惹いたのが寺田蘭世という1人の人間だった
寺田蘭世さんの場合
ド真ん中ストレート。寺田蘭世さんは嘘を付きたくない人だった。それがどれほどかと言えば、同期の北野日奈子さん曰く「出会ったときからホントに裏表のない嘘のない人」だという。人ひとり、そこまで言われるのも珍しい
アイドルという職業は大なり小なり嘘が付き物だ。世間にバレた時のリスクを考えると嘘など付かないに越したことはないが、リターンに目が眩むのはままあることだ。しかし寺田蘭世という人は、嘘を付かないことにちょっと不思議なくらいこだわっている節がある。気難しいやつと言われても構わない程に
かつて、松村沙友理さんの番組にお呼ばれした時、好きなアニメを語るコーナーになった。その際、今期の人気アニメがボードに一覧書きされていて全体としてはそういう流れで進んでいたが、そこで蘭世さんは(ちゃんと一言断った上で)そこには書かれていない古今のプリキュアの話をした。正直と言えば確かに正直であり、意外と話が広がってまあまあ盛り上がった
そんな寺田蘭世さんは、嘘はもちろん演技全般が大の苦手だった
かつて『16人のプリンシパル trois』に出場したときは、自分の中の違和感を拭いきれなかったようだ。自分じゃない誰かになること、その「嘘」さえつけないほど自分を不器用と考えていた。常に真実の自分でいないと気が済まない、そんな性格が仇となるほどに( "寺田蘭世と演技" については後述する)
良くも悪くも自分は自分のストロングスタイル。己を偽る行為に対しては、潔癖なまでのアレルギー反応を示してきた人だ。アイドルにはつきものな "あざといキャラ" もてんでダメで、たまに先輩やMCからやらされるときは、これでもかと心が砕けている(もっとも、その悶える姿が可愛いので言うほど問題はなかった)
第二の誤解(誇張・偏向)に対しても真っ向勝負だった。寺田蘭世さんは、いわゆる "◯◯キャラ" で表に出ていくのを好まない。それがもし、自分の本当の一面から生じたキャラであっても、過度に寄せていく行為の中で歪みが生じていく。安易なわかりやすさほど危険なものはない
一色に染まらないという意味で、寺田蘭世とはある意味 "中途半端" な人だった。自らが信じる道を行くがゆえに、注文通りの "信念の人" に見えない瞬間もある。完全無欠な存在を装ってはいないので、何らかの教祖には向いてない人だ。私はそんな寺田蘭世さんが好きだった。いや、いつしか好きになっていた
寺田蘭世さんは様々な誤解や偏見、先入観に立ち向かってきた。パッと見は矛盾する要素を絶妙なバランスで併せ持っている人だからこそ、一度観ただけの人には偏って伝わりやすい。特に "炎のスピーチ" 前後は殊更にそうだった
正直に生きるとは言っても、アイドルとして底辺から這い上がるには非日常的な "気合" を要する。人々の先入観を覆そうと熱い言葉を放ち続けた結果、別の先入観が生まれるのは皮肉なことだ。自分の元にふらっと訪れる、ひたすら刺激的な言葉のみを求める人、本音で生きることを茶化す人……、時にはウンザリすることもあったという。その分、新たに滑走路を得たときは嬉しかったそうだ。
人ひとりの魅力をしっかりとわかってもらうのは難しい。それならとばかりに、寺田蘭世さんは色んな角度で自分を示し続けた。一度に見せられる自分には限界があるが、自らの多様な側面を隙あらば示し続けた。それこそが、真に自分を見せるということだった。自分とは1つであって1つじゃない
『寺田蘭世を不完全に語り尽くす』で今まで書いてきたように、寺田蘭世さんは優しい人で、可愛い人で、格好いい人で、怖がりな人で、逃げない人で、貫く人で、迷う人で……etc、一言でバシッと言い表すのが極めて難しい人だ。それだけたくさんある中のたった1つを掴んでそれが全部とされてしまえば、全くわかってもらえないのとそう変わらないのかもしれない。しかしなぜ、
なぜ、そこまで本心を伝えるのだろう?
シンプルに『嘘を付くのは悪いことだから』かもしれない。ただ、もう少し掘り下げると、寺田蘭世さんの人生・人格に起因する部分があると思う
①そもそも誤解されやすいから
前回・前々回も言及したが、寺田蘭世さんは個性を尊ぶ一方、個性に悩んできた人だった。すぐにはわかってもらえないこと、いつまでもわかりあえないこと、いつかはわかってもらえること……。寺田蘭世という人は、わかり合えない哀しみとわかり合う喜びを幼少期から知っていた
そういう人間なら嘘をつきたくない理由も腑に落ちる。ただでさえわかってもらえないのに、自分を偽れば余計に相互理解が遠ざかる。嘘などついてる暇があったら本当のことを言うべきだ。それこそが、自分を伝える最もシンプルな方法だ
混じり気なしの本心で語る。たとえ伝わりづらくとも、むしろ伝わりづらいからこそ大事なことだ。「雰囲気と中身は別物ですよ」と、「人間見た目と雰囲気で判断してはなりませぬよ!!!!!!!!」と新人の時から真っ向勝負だった。そしてその一方、寺田蘭世さんは他者への礼儀を大事にしてもいる。相互理解には礼儀も不可欠だ。事実、寺田蘭世は動物が相手でも礼儀正しい
②嘘をついたところでどうせバレるから
これまた前回も言及したのだが、寺田蘭世さんはファッションのガチ勢だ。写真集でも私服をふんだんに使って自ら率先してコーディネートを行っている。寺田蘭世さんとオシャレは不可分の関係にある。それにも関わらず、
着飾るものはバレる
寺田蘭世さんはそう言った。それまで私の頭の中に漠然と存在していた、ベタな "ファッションキャラ" とは根本的に何かが違うようだ。心に着ぐるみを被らず、ありのままでぶつかっていくことに対して異様な程のこだわりを示している( "寺田蘭世とオシャレ" に関しても後述する)
③個性に生きている
これまたこれまた前回も言及したのだが、寺田蘭世は個性に生きている。幼少の頃から個性に悩み、個性を拓いてきた筋金入りの人だった。そして、
本心とは内面の個性だ
真に個性を大事にするならば自分に嘘は付けない。そうなってしまえば、個性の自殺だ。人の個性が拓く無限の可能性を閉ざすに等しい。かつて「センターになりたい」と正直に言ったのも、心の個性に殉じた結果ではないか
そんな寺田蘭世さんが言われて嬉しい言葉No.1が、
"人間として好き"
アイドルであろうが何であろうが、いついかなる時でも「寺田蘭世」の人生を歩みたいと豪語する人であり、常に1人の人間として公明正大に生きようとする。「気取らず、飾らず、力強く前向きに一直線目指して歩いていきます」と、寺田蘭世は言っていた。そうやって本心で語り続けると言うことは、1つ1つの言葉の奥にある芯、すなわち、自分の中身を伝えることを意味している
元々、出し得の技を持っている人ではない。十八番のファッションでさえ必ずしもポップではない。個性を貫いて生きる人だが、貫くための弾が不足していた。そこで寺田蘭世さんは、何よりもまず中身をぶつけることを選んだ
寺田蘭世さんは一事が万事、寺田蘭世の在り方を徹底していた。その際のMy ruleを完全に把握することは流石に不可能だが、"中身でぶつかる" ということに関して、恐ろしく生真面目にやるべきことをやってきた人だった
私はそこで思った。こいつ、イカれてる
今まで何度も述べてきたことだが、寺田蘭世さんは怖がりで、迷いがあって、自分に自信がない人だ。スーパーウルトラ気にしいで、ブログ1つあげるにも書いては消してを繰り返す。正解のない世界、十人十色の捉え方、世間一般ですぐさま評価されるような特技のなさ、他者に自分をわかってもらえなかった経験……etc. 前へ前へと進む怖さが身に染みている人だった
そんな人が、自分を剥き出しにして生きる道を選んだことになる。それは私にとって理解に苦しむ現象だった。同じく自分に自信がない私のような人間からすると、寺田蘭世さんの生き方はイカれてるとすら思う。それ自体がもう個性だ
私は寺田蘭世さんの言葉に共感する箇所が多い。単純に波長が合うのだと思う。それまで送ってきた人生にもある種の通ずるものがある。ただ、そんな私が必死こいて必死こいてほんの半歩、足を踏み込んでガクガクブルブルしている間に、寺田蘭世さんは100歩分踏み込んでガクガクブルブルしている
なぜそこまでしないといけないのか
魂
寺田蘭世という人はバカなんだと思う。野球バカ、役者バカ、料理バカがいるように、蘭世バカがそこにいた。弱くて、怖がりで、自分を信じきれてないのに、寺田蘭世が寺田蘭世であることを決して諦めない。同じような悩みを持った人や現状を変えたいと願っている人、その想いさえも背負い、寺田蘭世さんは "蘭世" というたった1つの武器で戦ってきた
寺田蘭世さんの逸話を信じた上で考えると、寺田蘭世さんは "蘭世" として生きることを幼少期から積み上げてきた。その意味では一日の長があり、自分に正直に生きてきたという経験値がある。2021年9月23日の段階で既に、その道20年を優に超える年季。まさしく筋金入りの寺田蘭世だ
埋もれず、曲がらず、自分に正直に生きるという点で、寺田蘭世さんは百戦錬磨のつわものでもあると私は気がついた。例えば普段、自分の本音をひた隠しにしてる人が、たまに堰を切ったようにワーッとなったり、あるいはうっかりポロッと何か言っちゃったりすると、そのままガタガタと崩れがちだが、長年正直に生きてきた寺田蘭世さんは崩れそうで崩れない不思議な踏ん張り力がある。それこそが、魂の個性を偽らず正直に生きる者の強さなのではないか
自分を隠さず生きるとは自分を信じて生きること
寺田蘭世は "蘭世" の人生を証明し続けている
次回は、寺田蘭世さんのぶつけ方の話。テーマは #全霊
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とはいえ、
寺田蘭世さんにも "隠す" という概念はちゃんとあったようだ。簡単に言えないことの1つや2つあって当然。ここで1つ例を挙げると、つよがる一幕がそれだ。寺田蘭世さんは "つよがりヒロイン" と呼ばれた人だが、自分を大きく見せる為につよがりはしない。常に等身大のつよがり方をしている。北野日奈子さん曰く、普段の寺田蘭世さんは誰にも弱いところを見せないそうだ
わかりやすいような、わかりにくいような、なんとも言えぬ人だ。だからこそ、その女を忘れるのはとてもとても難しい
寺田蘭世1st写真集『なぜ、忘れられないんだろう?』
前回⇒なぜ、ひょろひょろくんこそが相方なのか
次回⇒なぜ、1+1は2ではいけないのか
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