なぜ、寺田蘭世を不完全に語り尽くすのか
寺田蘭世(てらだらんぜ)という人について、私の心に響いた話を書きたい
寺田蘭世さんは先日卒業を発表したアイドルである。乃木坂46というグループの中で様々な活動を行っていたが、その途上で1つ、2015年11月6日から2020年11月15日までのべ5年間に渡って『らんぜのNEWSがとまらんぜ』というコラムを日刊スポーツのWebサイトに掲載していた。その中にこんなコラムがある
前半は小学生の頃、学校に行くのが憂鬱だったエピソードだ。少し補足すると、子供の頃の寺田蘭世さんは現在よりも人を怖がっていたらしく、公園で遊んだことがなかったり、1人で延々とフラフープやってたりしたそうだ
後半は、夏休みが終わってその憂鬱な学校が始まる日、すなわち、9月1日に増える子供の自殺者について。このセンシティブな問題について、寺田蘭世さんは最初に "もったいない" と語っている。 "がんばれ" でも "負けるな" でもなく、"もったいない" と、未来の可能性へ繋がる言葉から入った
寺田蘭世さんは苦難に立ち向かっていく心を持っている人だ。その一方、時には視野を広げて物事を考えることが、何かの薬になることもあると知っていた。そして最後に「一緒に頑張っていきたいと思います」で〆るその直前、
コラムのタイトルにもあるこの言葉。全体の大まかな流れとしては、辛いこともあるけど視野を広げて一緒に頑張っていこう!なのだが、その中にあって「頑張ってダメなら逃げていい」と寺田蘭世さんは一言添えた
文章の流れとしては、パッと見ちょっと、揺らぎがあるようにも感じられるこの言葉。しかし私は、この一言にえらく感銘を受けた。なんと言うべきか、ただただ直感的に嬉しかった。そして私は、ここからさらにさらに嬉しくなっていく
なぜか
それを伝えるために、この2ヶ月後のコラムを抜粋する。↑のコラムにもあった「給食の時間も昔は楽しくありませんでした」についてだ
寺田蘭世さんは小学生の頃、小食気味だったので給食を食べきれなかった。それが理由で、先生から掃除の時間まで残されていたと各種メディアで語っていた
私も同じだった。小食と偏食の違いはあれど、どうしても食べられなくて掃除の時間まで残されていた。だからこそわかる。あれは辛い。凄く辛い
みんなが普通にできていることを自分だけはできない。自分の存在がググッと折れ曲がっていくのを感じる。大の苦手なトマト(よりにもよって寺田蘭世さんの好物!)の丸々1個を1/3食べたところで私は詰んだ。給食が食べられないというのは、言ってしまえばちっぽけなことだ。そしてだからこそ、そこには大きな断絶がある。食べられる人にはそれがわからないのだ
もっとも、私と寺田蘭世さんでは1つ違う点がある。私は何度も何度も学校を休んだが、蘭世さんは(インフル等を除くと)皆勤賞だった
平たく言うと私は逃げた。蘭世さんは逃げなかった
当時はズル休みからお持ち帰りに至るまで、私はありとあらゆる狡い手を使ってひたすら給食から逃げ回った。蘭世さんは違う。掃除の時間まで残されようが、授業中まで残されようが、断固として食べなかった。そしてその上で、どんだけ辛くとも学校に通い続けた。そして後年、大人になってから当時の先生と再会したとき、先生は、かつての自分の行いが過ちであることを認めた
蘭世さんは人事を尽くした上で、それ以上は "愛のない教育" だと判断した。そしてそこから一歩も退かなかった。私にその勇気はなかった。人間としての器の違いを感じるが、それほどの人が「頑張ってダメなら 逃げていい」と言った。あの瞬間のあの一行は、本当に視野が広くて優しい人の口からしか出てこない
その約1年後の2018年12月、寺田蘭世さんは武蔵野でライブに臨んでいた。しかし運悪く当日に発熱。普通なら休んでいいところであり、実際にそうする選択肢もあった。だが、寺田蘭世さんは "寺田蘭世" だった
優しい人だった。逃げない人だった。もっと知りたくなる人だった
今こそ寺田蘭世(てらだらんぜ)さんについて語りたい
寺田蘭世。1998年9月23日生まれ。左利き。血液型不明
①アイドルグループ乃木坂46の2期生として2013年5月に加入
②乃木坂46のセンターを志し、 "選抜" と "アンダー" という2つのピラミッドで成り立つ多人数グループの中、 "研究生" という、ピラミッドの底辺のすぐ下にあるもう1つのピラミッドの底辺のさらに下にある(御本人曰く、アイドルなのかどうかもよくわからない!)境遇から這い上がり、
③正規メンバーに昇格したり、サンクエトワールの一員になったり、さゆりんご軍団の軍団員になったり、選抜の代打屋をやったり、いろいろ活躍の幅を広げながら遂にはレコード大賞2連覇時の選抜メンバーにまでなったが、
④なんやらかんやらで選抜からは振り落とされ、上と下の狭間で選抜とアンダーを行ったり来たりしたかというと実はそんなこともなく、8年半にわたる活動の9割以上をアンダーで過ごす一方、自身のセンター曲を5曲も!持つに至り、2021年9月17日に卒業を発表したアイドル……の、
今言った部分 "以外" を軸に据えて語りたい
なぜか
その方が面白いからだ。↑で挙げた諸々の話も1つのアイドル物語として語り甲斐のある代物であり、なんなら(適度に休憩を挟みつつ)24時間エンドレスでひたすら語り明かすこともできなくはない。ただ、この方向性で話を広げたり深めたりしていくと、なんというか、シケた話に重心が傾いてしまう恐れがある
それは寺田蘭世の核心なのか?
実際のところはやってみなければわからない。ただ、この点について私は、もっともっと愉快な寺田蘭世鉱山があると考えている
なぜか
人間・寺田蘭世が超面白いからだ。そう。寺田蘭世さんは面白いのだ。おしゃれで、弱くて、強くて、可愛くて、格好よくて、怖がりで、決断力があって、心配性で、勇敢で、頑固で、柔軟で、真っ直ぐで、天の邪鬼で、生真面目で、時にお茶目で、しっかりしてて、ふにゃふにゃしてて、信念があって、疑い深くて、不屈の精神の持ち主で、たまに諦めが早いところもあって、気持ちをぶつけ合う人で、なのに引っ込み思案で、口論に強くて、言葉で伝えるのが苦手で、礼儀正しく、時にスネたところもあり、壮大なスケールで物事を考え、ささやかなことを大事にしていて、寛大で器が大きく、やたらと嫉妬深くて、人と人の繋がりを大事にする一方、孤独な匂いもして、1人1人の個性を尊び、人の道を外れた行いを許さず、常に一貫した在り方で、七色の虹よりも多彩で、確固たる芯があって、無限に進化していく、見たまんまで、捉えきれない、愉快な人なんだ!!
ただそうは言っても、丸ごと語り尽くすとなると困難を極める。寺田蘭世という人間は、兎にも角にも一事が万事、一筋縄ではいかない人だ
なぜか
今さっき⬆️に挙げた寺田蘭世さんの特性を1つ1つ見比べてみると、それぞれの個性が片っ端からぶつかり合ってごちゃごちゃしている。そう。寺田蘭世というのは極めてハッキリとした人間なのだが、それを言葉で言い表そうとすると途端に難しくなる不思議な人でもある。だからこそ愉快だ。だからこそ面白い
そんなわけで私は、次回から "なぜ?" というアプローチを通じて寺田蘭世という人間を語り尽くしていこうと思う。幸いなことに、「いつか使うだろ、いつか」ぐらいの甘い見通しで積み上げられた記録や記憶が8年半分どっさりある
しかし、先程も言ったように寺田蘭世さんは一筋縄でいかない人物だ。100%理解するのは極めて困難。私としても可能な限り手を尽くすつもりだが、きっと不完全なものになってしまうと思う。そうであっても語りたい
なぜか
私がそうしたいからだ。寺田蘭世という、そうそう簡単には割りきれない人間を理屈で完璧に理解できるなんて思っちゃいないが、私は理屈をこねるぐらいしかできない人間だ。今この瞬間、ひたすら寺田蘭世のことを考えたくなった
寺田蘭世は素敵だ!!
次回は、寺田蘭世さんの謎のエネルギー "気合" について考えてみる
……
………
…………
寺田蘭世さんは剥き出しな人だった。剥き身の自分で世の中と向き合い続け、今またどこかへ行こうとする。そんな寺田蘭世さんのあれやらこれやらを、今一度噛み締める形のファン活動がしたかった。それだけだった
ただ強いて言うなら、本当に強いて言うなら、この世の全ての人々が寺田蘭世さんに今よりほんのちょっと興味を持ってほしい。そして願わくば、寺田蘭世さんの写真集をうっかり買って、あなたなりの答えを見つけてほしい
寺田蘭世1st写真集『なぜ、忘れられないんだろう?』
次回:なぜ、蘭世の左胸には勇気があるのか
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