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見えなくても見える未来を信じたい

所属/静岡県立浜松視覚特別支援学校 幼小学部 袴田純子先生
取材/浜松学院大学 地域共創学科 3年 袴田瑞貴

触って確かめて考える大切さ


視覚特別支援学校(盲学校)は、校名の通り、見えない見えにくい子どもたちや大人が学ぶ学校です。幼小中高校全部が1カ所に集まっており、ほかには寝泊まりをする寄宿舎や高校卒業後の鍼・灸などの国家資格を目指す過程、教育相談として見え方でお困りの方を支援する窓口などもあります。

私たちの仕事は、一般的な学校の先生の仕事に加えて、見えない、見えにくい子どもたちが、「わかる」に繋がる最適な環境を探ることです。音や、触った感じや、においや、味などの様々な感覚を使って学習ができるよう、教材や授業内容も工夫をして視覚面を補う生活技術や、機器の使い方の指導もしています。

ともすれば、大人からも友達からも、手伝ってもらいがちな立場の子どもたちですが、自分の手指で「触って確かめる」ことや、時間が掛かっても、まずは自分で「やってみる」こと、自分で考えることの大切さを伝えるように心掛けています。誰かの助けが必要となる場面は必ずあります。そのためにも周囲に援助依頼を伝えることができるように、学びを支援しています。

試行錯誤の学びの根底には信頼感がなければ

私が担当する幼小学部の子どもたちは、自分の体の感覚と周囲から得られる情報を基に、走ったり、ボール運動をしたり、1人で職員室や保健室へ行き、係の仕事をこなして戻ってきたりすることができます。どうして、できるのかというと、校内には、子どもたちが自分でやりきれるための、触って分かる仕掛けが随所にあることと、視覚以外の情報をキャッチして判断するという、練習の積み重ねがあるからです。

1つ例を挙げると、小学生になり、教科書の内容に入る前にすることは、自分の教室の場所や室内の作りなどを、昇降口から右に曲がって階段を何段上ったらまた右に曲がり、2階の1番端の教室といった具合に、すべて言語化しながら体を動かして覚えます。そして、自分の手指を使って、机の大きさ高さも確認し、教科書の大きさや表紙の質感の違い、重さ厚さ、紙の触り心地等も確認。弱視であれば形に加えて表紙の色や絵も時間を掛けて一緒に確認します。さらに、水筒や赤白帽子等の自分の持ち物の感触や特徴も、置き場所を決めながら触って確認を進めていきます。このように、物事をスタートする前段階として、目で見て一瞬で把握できる情報を、別の方法で得ることで、物事の概念も育ち、情報のピースも1つずつ増えて繋がっていくのだと思います。

では、日々の授業をどのように進めているのかというと、例えば熱湯について学習したときは、熱さを数値で示す以外にも、野菜を茹でて変化を触察しましたが、加えて料理で使う厚手のミトンを活用。湯が入った器を両手で触れて布越しにどれぐらい熱いのか、細心の注意を払いながらも、できるだけ本物に触れて学習していくことを目指しました。
 正直私たちも、見えない状態の物、得体の知れない物を触ることは怖いですよね。何も見えない状態で知らない物を触るのは、本当に勇気が要ります。ですから、視覚支援学校(盲学校)の学びを成立させるためには、子どもとの信頼感が根底に無ければならないと、常日頃考えています。


分かりやすいデジタル機器を使いこなせるように

本校には、見えない、見えにくいことを補う支援具や、支援機器が大小様々あります。据え置き型の拡大読書器は、見えにくい子どもたちが授業や、家庭で書き取りなどの宿題をするときにも使用している機器で、文字や画像を自分の見やすい倍率や、フォント、背景・文字色、コントラストに変えることができます。また、画面に誤読を防ぐための罫線を表示したり、自分が書いた文字をデイスプレイに表示したりすることも可能です。

支援機器を使いこなすことで、自分の力で読んだり書いたり、確かめることができる手立ての一つとなります。自分でできるという観点で言えば、それは拡大読書器に限ったことではなく、音声パソコンや、算数で使用する、見ても触っても分かる目盛りの付いた定規でも同様だと言えます。
 
また、携帯できるサイズの拡大読書器や、タブレット端末やスマホに支援アプリを入れて、自分の使いやすい機器を複数活用するケースも増加。既に数年前から、紙と鉛筆よりも、点字よりも、デジタル機器でノートテイクと情報管理をする人が増えてきています。しかし、それぞれの「わかりやすさ」や「扱いやすさ」は異なるので、自分のスタイルが定まる前段階として、文字も点字も、読み書きの基礎基本を学校では扱う責務があり、考慮すべきことなのです。

知ってもらうことではじまる地域とのつながり

視覚特別支援学校(盲学校)という名前を聞いたとき、目に障害を持つ人が行く学校であると、漠然としたイメージが浮ぶかのではないでしょうか。具体的には何をやっているのか、どのような人がいるのか、どうやって生活しているのか、ホームページに載っている情報だけでは理解しきれないと思います。 
 
もしかしたら、就職して見えない見えにくい人と同僚になったり、あるいは友達になったり、あるいはバイト先で接客することになったりと、そんな未来は大いにあり得ます。そもそも自分自身が当事者になるかもしれません。そのとき、少しでも知識や体験があれば、その心持ちは異なるものになるのではないでしょうか。

本校の幼児児童生徒は、何十年も前から市内の学校と授業交流を実施。それに加えて小中学生は「交流籍交流」という、各々が居住している学区の学校に登校し、同学年と授業交流をすることも進めています。学校が違う同級生が近所にいることを、まずは知り、一緒に授業をする中で、お互いに様々な気づきを得て、相手を知るための工夫をしていく。休日は声を掛け合って一緒に遊ぶ、そんな交流が広がることを願って、他校の先生方と協力をしています。

接したことがない、知らないということは興味もわきますが、同時に不安から、見ない振りをしたくなる原因にも繋がります。意図的・日常的に、地域とのつながりや、関わりを持ち続けることで、どの立場の人でも、その時の最善のコミュニケーションにお互いが辿り着けるよう、種を蒔くことも、私たち特別支援学校の教員の仕事だと思っています。

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