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子なしはマイノリティで生きづらい→ 歓迎されてないけど実は生きやすい選択なのでは?の流れ。過渡期の終わり

最近、#生涯子供なし のタグが流行ったり、子なしへの注目度が高いと感じる。と同時に、子なしは年金辞退しろとかの過激派もいて混沌としてるなーと思っているのだけど、
これは、
少し前は「子供を産まないのはマイノリティで生きづらい」だったのが

だんだん「産む事は正解とされているはずなのに産んだらこの社会生きづらい」になってて

最近「産まない事は歓迎されてはいないけど実は生きやすい選択なのでは?」の流れが見えてきたんじゃないかと。
過渡期の終わりを感じる。

やりたいことのためなら頑張れるかもしれないけど、そもそも望んでない事のために頑張れる訳ない。

「合理的に考えたら産まないが正解になる社会」って、産む産まないは個人によって正解不正解あるものの、社会的にこっちの方が正解っぽくて楽に生きれるかも。ってのが『産まない方』ってなかなか終わってんなと思う。
社会の制度とか景気とか周りの目とか、子供を普通に産むようにできてないよね適してないよねって事で。それに対するアンサーが「いいから女は黙って産め、じゃないと少子化になるだろう」だとしたら絶望しかない。

今までは『女性に疑問なく子供を産んでもらうため』に社会の圧や当然そうなる流れがあったと思う。

私は子供の頃から「あー大人になったら子供産まなきゃいけないんだーやだなー」ってずっと思ってたから、大人になってやりたい事やりたくない事は自分で決めていいんだって知ってびっくりした。夫も当たり前にそれを尊重してくれる上でなんなのあの圧…?と考えたらまさにそれで。
出生賛美、子供を産んで一人前、出産の痛みを耐えてこそ愛情が湧く、etc.

女の子は子供を産むための準備をしますとか、大切な体です、とかじゃなくて、私の体は私のもの。女性も自己実現できて産む産まないの選択をできるって知っていたかったなーと思う。これからの社会ではそうあってほしい。

家族の複数人や近所ぐるみで子供の面倒をみていた昔と違って今は共働きワンオペのこの世の中で、もうそろそろ「産むのが当たり前だ」と力で捩じ伏せても出生率は上がらない現実を直視してもらいたい。

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