無職の専業主婦というワード
年金受給が半減されるかもしれないという話題において、「無職の専業主婦」というパワーワードが話題になった。
無職?うん。専業主婦、うん。
正直私はいま専業主婦で楽だなーって思う。専業主婦も365日大変!とか家事が働くのと同じくらい大変!とは思わない。
家事労働の評価額が年間300万っていう言説もなんだかな…と思う。どれだけの人がプロ並の家事をしてるんだろう。
確かにワンオペ育児してる人にはこの感覚は当てはまらない事は分かる。
子供の面倒を1対1でみて一瞬も気が抜けなければ会社行って仕事してる方が楽なのかもしれない。働くのと同等かそれ以上の大変さがあることは想像に難しくない。
人それぞれすぎる
うちは夫が激務で私が家で支えないと回らないし共働きのとき過労でぶっ倒れたので、いま働いてキャパオーバーになる選択肢はない。
特に夫の職業柄、夫が仕事に専念できる環境を作ることは何よりも私にとって意味の大きいこと。どうしても主婦を無職と言いたいなら、こんなにも生産性のある「無職」はほかにないってことで溜飲を下げてもいいと思う。
どの女性も長い人生のある地点において切り取れば、「働く女性」になる可能性も「専業主婦」になる可能性もある。
世の中の流れとしては、これからは扶養控除も引き下げられ第3号被保険者も廃止の方向にいくんだと思う。家庭内の事は家庭内。社会の評価値をそこに持ってくること自体がおかしいし、家事労働の評価額って何の意味もないと思う。虚無額。こんなにも意味のない300万ってある?
家庭内の流通硬貨
家庭内には家庭内の流通硬貨がある。
夫にとって私の作るご飯は、家事代行で作ってもらうご飯、テイクアウトのご飯には置き換えられない特別な価値を持つ。それは家庭内でのみ通用するもの。
そして私にとって夫からの
「ご飯おいしいね、ありがとう」
「洗濯してくれて、ありがとう」
という言葉は社会評価に置き換えられない価値を持つ。
無償の労働は私と夫の間で「家庭内の特別な流通硬貨」になる。
それを社会評価値で換算することも、主婦ってえらいよねって誰かに評価されるのも、私にとってなんの意味もない。